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アマルナまたはエル・アマルナ()は、ナイル川東岸、現在のエジプトのミニヤー県に位置する場所である。アル・アマルナとも。テル・エル・アマルナという呼称は正しくない(後述)。県都のミニヤーから南に58km、首都カイロからは南に312km、ルクソールからは北に402kmの位置にある。アマルナの地には現在、いくつかの村がある。 アマルナには多数の古代エジプトの考古遺跡がある。紀元前1353年ごろ、エジプト第18王朝後期のファラオ・アメンホテプ4世が新たな首都として建設したが、短期間で放棄された都市だった。古代エジプトではアケトアテン (Akhetaten) と呼ばれていた。アケトアテンとは「アテン神の地平線」の意である。 アマルナ革命の間はシナイ半島以東の治安維持が難しくなった。ブルナ・ブリアシュがエジプトへ送った使節がカナン北部のアッコンで地元領主の略奪隊に襲われている。ブルナ・ブリアシュはエジプトに犯人の処刑と被害の弁償を訴えている。さもないと使者の往来が全く絶たれるとも書いた。 この場所は後のローマ帝国時代や初期のコプト正教会時代にも使われており、都市の南部の発掘ではそれらの時代の遺構が見つかっている。 == 地名について == よく「テル・エル・アマルナ」と呼ばれるが、正確ではない。"Tel" はヘブライ語で「遺丘」を意味し、遺構が積み重なって丘のようになった場所一般を意味し、エジプトにはよく見られる。しかし、アマルナには当てはまらない。エジプト学者 Cyril Aldred はこの遺跡の近くにある現代の村 Et Til el Amarna の名から誤解が生じたとしている。"Amarna" という地名は8世紀にリビア砂漠を去ってこのあたりのナイル川河岸に定住した遊牧民 Beni Amran に由来する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アマルナ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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