翻訳と辞書
Words near each other
・ アマーヌッラー・ハーン
・ アマーリア
・ アマーリア・フォン・クールラント
・ アマーリア・フロイト
・ アマーリア・ヴィルヘルミーネ
・ アマーリア・ヴィルヘルミーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=カレンベルク
・ アマーリエ
・ アマーリエ・アウグステ・フォン・バイエルン
・ アマーリエ・イン・バイエルン
・ アマーリエ・ゾフィー・フォン・ヴァルモーデン
アマーリエ・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータ
・ アマーリエ・フォン・ゾルムス=ブラウンフェルス
・ アマーリエ・フォン・ナッサウ=ヴァイルブルク
・ アマーリエ・フォン・プファルツ=ツヴァイブリュッケン=ビルケンフェルト
・ アマーリエ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット
・ アマーリエ・フォン・レルヒェンフェルト
・ アマーリエ・ルイーゼ・フォン・アーレンベルク
・ アマール
・ アマールと3人の博士
・ アマールと3人の王様


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

アマーリエ・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータ : ミニ英和和英辞書
アマーリエ・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータ[ぶる]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ブル : [ぶる]
 【名詞】 1. bull 2. (n) bull

アマーリエ・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータ : ウィキペディア日本語版
アマーリエ・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータ[ぶる]

マリー・ルイーゼ・フランツィスカ・アマーリエ・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータ(, 1848年10月23日 コーブルク - 1894年5月6日 ミュンヘン)は、ザクセン=コーブルク=ゴータ家カトリック系の分家コハーリ侯爵家の公女で、バイエルン公マックス・エマヌエルの妻。
ザクセン=コーブルク=ゴータ公子アウグストと、その妻でフランス王ルイ・フィリップの娘であるクレマンティーヌ・ドルレアンの次女として生まれた。弟にブルガリア王フェルディナンド1世がいる。
結婚適齢期になると、バイエルン王子レオポルトとの縁談が持ち上がった。ところが、レオポルト王子の親類でオーストリア皇后エリーザベトの弟マックス・エマヌエルがアマーリエに一目ぼれし、間に割り込んでくる事態となった。複雑な三角関係は、オーストリア皇后の采配で円満な解決をみた。皇后エリーザベトはレオポルトをゲデレーに招き、自分の娘ギーゼラ大公女と見合いをさせた。オーストリア皇帝の娘婿になれるチャンスを逃したくないレオポルトはギーゼラに乗り換えた。
1875年9月20日にエーベンタール(現オーストリアニーダーエスターライヒ州ゲンゼルンドルフ郡)においてマックス・エマヌエルと結婚した。夫妻は幸福な家庭生活を送ったが、1893年に夫が急死するとアマーリエは極端に気落ちし、腹膜炎に罹って翌1894年に死去した。45歳だった。
== 子女 ==
夫マックス・エマヌエルとの間に3人の息子をもうけた。
*ジークフリート・アウグスト・マクシミリアン・マリア(1876年 - 1952年)
*クリストフ・ヨーゼフ・クレメンス・マリア(1879年 - 1963年)
*ルイトポルト・エマヌエル・ルートヴィヒ・マリア(1890年 - 1973年)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アマーリエ・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.