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アミーン・マアルーフ : ミニ英和和英辞書
アミーン・マアルーフ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アミーン・マアルーフ ( リダイレクト:アミン・マアルーフ ) : ウィキペディア日本語版
アミン・マアルーフ[ちょうおん]

アミン・マアルーフأمين معلوف Amin Maalouf、1949年2月25日 - )はレバノン出身、フランスパリ在住の作家・ジャーナリスト。彼がフランス語で書いた著作は多くの言語に翻訳されており、小説『Rock of Tanios』(Le Roche de Tanios 、タニオスの岩)で1993年ゴンクール賞を受賞した。
== 来歴 ==
両親の祖先はレバノンの山地にある Ain el Kabou の村の出身で、父ラシュディ(Ruchdi)と母オデット(Odette)は1945年カイロで結婚した。母方の祖父はマロン派キリスト教徒で、村からカイロへ出てトルコから来た女性と結婚した。父方の祖父はメルキト東方カトリック教会の共同体出身で、聖職者の子でありながら長老派教会に改宗した人物であり、合理主義者で世俗派で自分の子の洗礼を拒み、フリーメイソンだった可能性もある。アミン・マアルーフ本人はカトリック信者である〔Amin Maalouf (1949 - ) 〕。
アミン・マアルーフは1949年ベイルートで四人兄弟の二番目の子供として生まれた。当時プロテスタント系の家庭は子供をイギリス系やアメリカ系の学校に通わせていたが、母はフランス系のイエズス会の学校へ通わせることを強く望んだ。彼はフランス系の大学で社会学を学び、ベイルートの日刊紙「アン=ナハル」(an-Nahar)で実績を積んだが、1975年レバノン内戦が発生したため翌年難民としてパリに移住した。当初はパリでもアラブ世界に関するジャーナリストとして活躍し多くの論文や著書を書いたが、後にフィクション創作に専念している。
マアルーフの小説は内戦や難民の経験が強く反映されている。主な登場人物は異なる国、言語、宗教の間を渡り歩く者や旅する者となっている。
2011年6月、アカデミー・フランセーズ席次29に選出された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アミン・マアルーフ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Amin Maalouf 」があります。




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