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この項目では、アムステルダムの運河について扱う。「北のヴェネツィア」と呼ばれる都市の一つでもある、オランダの憲法上の首都アムステルダムは、100km 以上の運河と約90の島々、そして1500もの橋から成り立っている。 3つの主要な運河であるヘーレン運河 (Herengracht)、プリンセン運河 (Prinsengracht)、ケイザー運河 (Keizersgracht) は、いずれもオランダが黄金時代を迎えていた17世紀に掘られたもので、都市の周りを同心円状に巡っている。それらは「グラクテンゴルデル」(''grachtengordel'', 直訳は「運河のガードル」)として知られ、主要な運河沿いには実に1550もの記念建造物群が存在している。ヘーレン運河、プリンセン運河、ケイザー運河、ヨルダーン地区などを含む17世紀の環状運河地区は、2010年にUNESCOの世界遺産リストに登録された〔http://whc.unesco.org/en/list/1349/〕。 == 歴史 == アムステルダムの運河システムの多くは、都市計画の優れた産物である。アムステルダムは、オランダ独立戦争を境に没落していったアントウェルペンに代わり、16世紀末以降、国際的な中継貿易の拠点となっていった。ヨーロッパ商業の変化に適応するとともに、ジェノヴァに代わって国際的な金融市場の機能も備えて急成長したアムステルダムの人口は、3万(16世紀末)、10.5万(1622年)、22万(1660年 - 1670年)と急増していった〔石坂昭雄 壽永欣三郎 諸田實 山下幸夫 (1980) 『商業史』 有斐閣〈有斐閣双書〉、pp.83-87〕。そうして17世紀初頭に増大した移民に対応することと防衛上の観点から、アイ湾を終端とする4つの主要な半円状の運河を含む包括的な都市計画が立案された〔ICOMOS (2010) p.260〕。 グラクテンゴルデル ("grachtengordel"〔Grachtengordel 〕) として知られる3つの運河、すなわちヘーレン運河、ケイザー運河、プリンセン運河は主として宅地造成のためのもので、一番外側のシンゲル運河は防衛と水利のために建造された。半円状の運河群は相互に繋がっており、ヨルダーン地区 (Jordaan) ではビールなどの物資の運送にも使われる運河群が重なっている。また、本来防衛目的だった境界線のシンゲル運河も、住宅や商業発展の目的に転用されて今に至る。さらに、運河群には100以上の橋が架かっている。 Nassau/Stadhouderskade の防衛的機能は、堀、土塁、要衝の門などにその面影を残してはいるものの、それら以外にそれらしい建造物群は見られない。 しばしば運河網は中心から外側へと順次追加されていったように思われがちだが、歴史家のゲールト・マク (Geert Mak) が「巨大なワイパー」と呼んだように、その建造は西から東へと進められていった。北部から西部にかけての建造は1613年に始まり、1625年頃に完成した。1664年以降、南部の建造が始まったが、経済的に減速していたことから、その建造は遅々としたものだった。アムステル川とエイ湾に挟まれた地域を含む東部の建設は着工されることはなく、用地は公園、植物園、住宅、劇場、公共施設などに使われている。運河はあるが、あまり計画的でなく、きれいな環状運河網の続きとはなっていない。 都市のかなりの部分は干拓地で、それは「湖」を意味する接尾辞 ''-meer'' の付く地名アールスメール、ベイルメルメール (Bijlmermeer)、ハーレマーメール、ワテルグラーフスメール (Watergraafsmeer) などから窺い知ることができる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アムステルダムの運河」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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