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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
アムル・イブラヒム・ムスタファ・サウード(Amr Ibrahim Mostafa Seoud、1986年6月10日 ‐ )は、エジプトの男子陸上競技選手。専門は短距離走。100mで10秒13、200mで20秒36、室内60mで6秒69の自己ベストを持つ、3種目のエジプト記録保持者。 == 経歴 == 2003年3月、バーミンガムで開催された世界室内選手権の60mに若干16歳で出場を果たすと、予選で敗退したものの、6秒93のジュニアエジプト記録を樹立した。 2007年8月、バンコクで開催されたユニバーシアードの100mと200mに出場。100mは決勝に進出して10秒53(-0.9)で7位に入った。200mでも決勝に進出すると、20秒74(+0.2)のエジプト記録(当時)を樹立し、前回大会金メダリストの(20秒96)や神山知也(20秒97)を破り、自身初となる世界タイトルを獲得した。これは陸上競技以外の全ての競技も含め、ユニバーシアードでエジプト勢が獲得した初の金メダルだった。 2007年11月、カイロで開催されたパンアラブ競技大会の100mと200mと4×100mリレーに出場。100m決勝を10秒38(+0.7)のエジプト記録(当時)で制し、この種目でエジプト勢初の金メダリストとなった。200mも予選を20秒64(+1.0)のエジプト記録(当時)で突破すると、決勝は20秒69(+2.0)で制して2冠を達成した。 2008年3月、バレンシアで開催された世界室内選手権の60mに出場すると、予選で6秒78のエジプト記録(当時)を樹立。着順での突破ではなかったものの、タイムで拾われてこの種目でエジプト勢初となる準決勝に進出した。準決勝では予選の記録を更新する6秒69のエジプト記録を樹立したが、決勝には進めなかった。 2008年8月、北京で開催されたオリンピックの200mに出場すると、この種目ではエジプト勢初となる2次予選に進出した。2次予選では20秒55(+0.1)のエジプト記録(当時)を樹立するも、準決勝には進めなかった。 2009年7月、ベオグラードで開催されたユニバーシアードの100mと200mに出場。前回大会で惜しくもメダルを逃した100mは2大会連続となる決勝に進出するも、ロランド・パラシオス(10秒30)に0秒01差競り負け、10秒31(-0.7)で銀メダルに終わった。2連覇のかかっていた200mも決勝に進出し、決勝では前回大会の優勝タイムを上回る20秒52(+0.1)をマークするも、20秒04のジュニアヨーロッパ記録で優勝したラミル・グリエフに次ぐ銀メダルに終わった。 2010年7-8月、標高1000mを超えるナイロビで開催されたアフリカ選手権の100mと200mに出場。100mは決勝で10秒18(+1.9)のエジプト記録(当時)を樹立するも、4位と0秒04差の4位でメダルを逃した。200mでも決勝に進出すると、決勝で20秒36(+1.3)のアラブ記録(当時)およびエジプト記録を樹立。100m金メダリストのベン=ユスフ・メイテ(20秒39)や100m銅メダリストのサイモン・マガクウェ(20秒56)を破り、自身初となるアフリカタイトルを獲得した。これはアフリカ選手権のショートスプリント(100mと200m)において、北アフリカ勢の男子選手が獲得した初の金メダルだった。 2011年9月、大邱で開催された世界選手権の200mに出場すると、予選を自己ベスト(20秒36)に迫る20秒44(+0.3)で突破し、この種目ではエジプト勢初となる準決勝に進出した。準決勝は21秒15(-0.7)と予選よりもタイムを落とし、組8着で敗退した。 2011年9月、マプトで開催されたアフリカ競技大会の100mに出場すると、準決勝を10秒13(+1.8)のエジプト記録で突破。決勝では10秒20(-0.4)をマークし、2010年アフリカ選手権の100m金メダリストのベン=ユスフ・メイテ(10秒28)や前回大会200m銅メダリストの(10秒29)を破り、この種目でエジプト勢初の優勝を成し遂げた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アムル・イブラヒム・ムスタファ・サウード」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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