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アメア・ディリック
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アメア・ディリック
アメア・ディリック(Amer Delic, 1982年6月30日 - )は、ボスニア・ヘルツェゴビナトゥズラ出身の男子プロテニス選手。右利き。ATP自己最高ランキングはシングルス60位、ダブルス74位。デビュー時から2010年8月まではアメリカ国籍でツアーを転戦していたが、同年9月からはボスニア・ヘルツェゴビナ国籍に変更して活動している選手である。196cmの長身から繰り出す強烈なサーブを持ち味にする。 == 来歴 == ボスニアで航空管制官をしていた父ムハレムと会計士であった母サディナの間に2人兄妹の長男として生まれ、5歳の時に父から木製ラケットをプレゼントされテニスを始める。しかし1992年にボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が勃発、1995年5月には故郷トゥズラがセルビア人勢力に包囲され、70名以上の若者が殺害されたトゥズラの虐殺を目の当たりにする。これを期に当時13歳のディリックと家族は戦争で疲弊した祖国を逃れ、1996年に僅か4つのスーツケースと1000ドル余りの全財産を手にアメリカに渡り、フロリダ州ジャクソンビルに移住。後にアメリカ国籍を取得した。移住直後のディリック一家の生活は困窮を極め、1ヶ月後には財産も底を付き、家族はフードスタンプの受給を受けながら生活する苦しい時期を送った。しかしそんな中でも両親は移住後もテニスを続けた息子の為に、ピザ屋や住宅ローン会社の仕事を掛け持ちしながら費用を工面しテニス用具を買い与えるなどアメアを支援。その後高校テニス界で頭角を現したアメアは、1999年に大学スポーツの名門として知られるイリノイ大学元テニス部監督に見出され2000年に同大へ入学。ここでは大学2年次から頭角を表し、2003年にはNCAA男子テニス選手権においてイリノイ大として初のシングル部門、チーム部門との優勝を果たす。これらの活躍により、2001年から2003年まで3年連続でディビジョン1の年間ベスト選手が選出されるオールアメリカンチームに選出、2003年にはビッグ・テン・カンファレンスに所属する最も優れた男子大学スポーツ選手に与えられるビッグ・テン・アスリート・オブ・ザ・イヤーを、同賞創設以来テニス選手として初めて受賞。名実共に全米大学スポーツ界のトップ選手としてその名を馳せた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アメア・ディリック」の詳細全文を読む
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