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アメリカ・カリ()は、コロンビアの都市サンティアゴ・デ・カリに本拠地を置くサッカークラブである。コロンビア・プロサッカーリーグのプリメーラB(2部)に所属している。アメリカ・デ・カリとも表記する。 ミジョナリオスと並んで国内最多13回の優勝を誇る強豪である。1980年代以降の優勝回数ではミジョナリオスを圧倒する。 同じカリを本拠地とする、デポルティーボ・カリとライバル関係にある。デポルティーボ・カリとのダービーはエル・クラシコ・バジェカウカーノ(カウカ谷のダービー)と呼ばれている。また、アトレチコ・ナシオナル、ミジョナリオス、サンタ・フェともライバル関係にある。 == 名称 == クラブの正式な設立年は1927年であるが、クラブとしての活動はそのずっと前の1918年から始まっていた。その頃クラブの正式な名前は存在していなかった。チーム名を選手達は単にJunior(フニオール:若者たち)と呼び合っていた。それで1926年からは創設者がアルゼンチンのラシン・クラブに憧れていてために、チームの名前はラシン・クラブとなった。その当時はユニフォームもラシン・クラブと同じ水色と白色の縦縞であった。〔http://www.canaltrans.com/deportes/futbol1/historias/001.html〕そして、その後、ラシン・クラブが方向性の違いから分裂し、一部の若者グループが独立した。そしてその分裂後のチームの最初の試合が行われた日、1927年2月13日がクラブの設立日となっている。 名称とニックネームが誕生した経緯については2つの説がある、1つは1920年代のウルグアイ代表のキャプテン、ルイス・エルナンド・レニスが、何気なく「このチームにふさわしい名前はアメリカだ」と言ったのがきっかけであるというもので、愛称の「赤い悪魔」についてもレニスがアルゼンチンのフットボール誌「エル・グラフィコ」において、「アメリカ・カリの黒人選手たちはまるで、赤い悪魔のようだ」とコメントしたことが始まりと言われている。更に、この発言をきっかけにユニフォームの色も水色と白色の縦縞から、全身、赤色に変更したと言われている。 もう1つの説は、クラブ名”アメリカ”は1918年に最初に名もない状態から活動が始まったこのクラブの先人たちに敬意を表して付けたものであるという説である。因みにアメリカ・デ・カリの正式名称はAmérica Sociedad Anónima Deportiva(アメリカの社会的な名も無きスポーツ・クラブ)である。 そして、”赤い悪魔”というニックネーム誕生のもう一つの説は、1931年にチームがバランキージャに遠征に行って、そこでバスケットボールの試合観戦に招待された際に生まれたというものである。これはUnion Colombia(ウニオン・コロンビア:コロンビア・ユナイテッド)と Diablos Rojos(ディアブロス・ロホス:赤い悪魔)という2チームの対戦であった。この試合で、ディアブロス・ロホスが輝いて見えたことから、ユニフォームもこのチームと同じ全身、赤色にして、愛称も同じにしようという考えに至ったという説である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アメリカ・カリ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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