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アメリカ合衆国の共和主義()は、その独立以来アメリカ市民思想の主要部分であり続けている政治的価値観である〔Robert E. Shalhope, "Toward a Republican Synthesis: The Emergence of an Understanding of Republicanism in American Historiography," William and Mary Quarterly, 29 (January 1972), 49–80〕。中心的な価値として「自由」と「不可分の権利」を強調し、人民全体を主権者とし、政治権力の世襲を拒否し、市民がその公民としての義務を行うときに独立であることを期待し、政治的腐敗を忌避している〔Richard Buel, ''Securing the Revolution: Ideology in American Politics, 1789–1815'' (1972)〕。アメリカ合衆国の共和主義は18世紀に建国の父達によって基礎が造られ、初めて実行された。それは共和政ローマ、ルネッサンス時代および権利に関するイギリスのモデルと概念に基づいていた〔Becker et al (2002), ch 1〕。アメリカ合衆国においては、その独立と独立宣言(1776年)、アメリカ合衆国憲法(1787年)、さらにはゲティスバーグ演説(1863年)の基本になった〔Gordon S. Wood, ''The Radicalism of the American Revolution: How a Revolution Transformed a Monarchical Society into a Democratic One Unlike Any That Had Ever Existed'' (1992).〕。 共和主義は、人民が多数意見によっても取り去ることができない不可分の権利を持っていると主張することで、他の民主主義形態とは異なっているということができる〔 John Phillip Reid, ''Constitutional History of the American Revolution'' (2003) p 76〕。アレクシ・ド・トクヴィルは民主主義における「多数派の専政」について警告し、少数派の権利の弁護者は、多数派によって少数派の権利を停めるような事態を裁判所が覆すことでそれら権利を保護する必要があると警告してきた〔Kyle G. Volk, "The Perils of 'Pure Democracy': Minority Rights, Liquor Politics, and Popular Sovereignty in Antebellum America," ''Journal of the Early Republic'' Volume 29, Number 4, Winter 2009 DOI: 10.1353/jer.0.0113〕 。 「共和主義」という言葉は「共和国」という言葉から派生しているが、この2つの言葉には異なる意味がある。「共和国」は政府の形態であり(世襲階級の無いもの)、「共和主義」は共和国にも君主国にも現れ得る政治思想である〔Hart, (2002), ch 1〕。 アメリカ合衆国の歴史では、2つの政党が共和主義を表す名前を付けた。すなわちトーマス・ジェファーソンが1793年に設立した民主共和党と呼ばれたもの、および1854年に設立され現在も続いている共和党である〔Robert Williams, ''Horace Greeley: champion of American freedom'' (2006) p 175-6〕。 == アメリカ合衆国の独立 == === 共和主義の美徳 === 1760年代と1770年代、イギリス領北アメリカ植民地の知識層および政界の指導者達は、歴史を細かく勉強して政府とその統治の有効性を比較した〔Trevor Colbourn, ''The Lamp of Experience: Whig History and the Intellectual Origins of the American Revolution'' (1965) online version 〕。特にイギリスにおける自由の歴史に関心があり、政権を取っていた王室党(''Court Party'')に反対した「土着政党」(''Country Party'')の影響を強く受けた。土着政党は古代ローマの古典的共和主義概念に大きく依存しており、共和国の中での市民の義務とその高潔さという概念を称賛した。古代ギリシャの都市国家やローマ共和制の例を引用した〔H. T. Dickinson, ed., ''A companion to eighteenth-century Britain'' (2002) p. 300 〕。土着政党はホイッグ党の政治哲学の一部を共有し、またトーリー党がイングランドの王室を中心とするロンドンで王室党を取り巻く腐敗を厳しく批判していたことに同調した。この考え方がアメリカ人の「共和主義」と呼ぶ政治思想を生みだし、1775年までにアメリカで広まった〔Mortimer N. S. Sellers, ''American republicanism'' (1994) p. 3〕。歴史家のロバート・ケリーは「共和主義は革命世代全体のはっきりとした政治意識だった」と記した〔Robert Kelley, "Ideology and Political Culture from Jefferson to Nixon," ''American Historical Review,'' 82 (June 1977), 536〕。J・G・A・ポーコックはアメリカにおける知識の源を次のように説明した〔J.G.A. Pocock, ''The Machiavellian Moment'' p 507〕。 革命的共和主義は腐敗と強欲さを制限することに集中した。美徳は市民や代議員にとって最高に重要なものだった。革命派は古代ローマから教訓を得て、帝国を破壊した贅沢を避ける必要があることを知った。徳のある市民は、金で償われることを無視し、腐敗に抵抗し、撲滅させることに関わった者だった。共和国は神聖であり、それ故に、自己の利益や個人の意志を無視して、真の代表となる方法で国に仕える必要がある。共和主義は、共通の善のために進んで自己の利益を顧みない者達の奉仕を求めていた。バーナード・ベイリンに拠れば、「自由を保つことは、権力者を効果的にチェックし続ける人々の能力に依存しており、つまるところ人民の警戒心と道徳的活力に依存している」ことになる。徳の高い市民は自由の強力な守護者である必要があり、政府の腐敗と貪欲さに挑戦する必要がある。高徳の市民の任務はアメリカ独立の基礎になった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アメリカ合衆国の共和主義」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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