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アメリカ合衆国の詩 : ミニ英和和英辞書
アメリカ合衆国の詩[あめりかがっしゅうこく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

アメリカ合衆国 : [あめりかがっしゅうこく]
 (n) the United States of America
: [ごう]
 【名詞】 1. go (approx. 0.18l or 0.33m) 
合衆国 : [がっしゅうこく]
 【名詞】 1. United States of America 2. federal state
: [しゅう]
 【名詞】 1. masses 2. great number 3. the people 
: [くに]
 【名詞】 1. country 
: [し]
 【名詞】 1. poem 2. verse of poetry 

アメリカ合衆国の詩 : ウィキペディア日本語版
アメリカ合衆国の詩[あめりかがっしゅうこく]
アメリカ合衆国の詩は、アメリカ合衆国憲法13植民地を統合した時に初めて生まれてきたということができる。それ以前についてはインディアン社会に根強くあった口承になぞらえられることが多い〔Einhorn, Lois J. ''The Native American Oral Tradition: Voices of the Spirit and Soul'' (ISBN 027595790X)〕。植民地初期の作品の多くは、当時のイギリスの詩を雛形にした韻律、用語選択および主題に拠っていた。しかし、19世紀に明らかにアメリカ的言葉遣いのものが現れ始めた。19世紀後半にはウォルト・ホイットマン(1819年 - 1892年)が海外でも熱狂的な読者を獲得していた。この頃にアメリカ合衆国の詩は英語による「アバンギャルド」の前線にその地位を築き始めた。
その地位は20世紀に入っても持続し、第一次世界大戦のころにはおそらく、エズラ・パウンド(1885年 - 1972年)やT・S・エリオット(1888年 - 1965年)が最も影響力ある英語の詩人となるまでになった。1960年代にはイギリス詩復古運動の中で、若い詩人達がその書きたいと考える種類の詩についてアメリカの当代の者や先人をモデルと見なすようになった。20世紀の終わりを迎えてアメリカの詩に対する評価は多様化し、学者達は女性詩人やアフリカ系ヒスパニック系、メキシコ系やその他のサブカルチャーに属する者の作品に注目するようになった。全国の高等教育施設の英語学科に創作文芸(クリエイティヴ・ライティング)コースが普及するにつれて、詩やその他の文芸の専門性は高まる傾向にもある。
== 植民地時代の詩 ==

1490年代以降、イギリスがアメリカと接触する機会が増えるに連れて、探険家達はその「新世界」に関する報告書に韻文を含めることがあった。アン・ブラッドストリート(1612年 - 1672年)が『最近アメリカに現われた十人目の詩神』(''The Tenth Muse'')をアメリカで書き、イギリスで出版された1650年までに、そのような分類でアメリカの詩人と呼ぶことのできる者は少なくとも14人居た。彼らは実際にアメリカに行ったことがあり、その程度に違いはあるものの、アメリカについて詩や韻文を書いた。初期の例としては、探検家ジョン・スミス1580年 - 1631年)が1616年に確かに好戦的な性格にもとづいて「証言的な詩」を書いており、また1625年のウィリアム・モレルによる「ノバ・アングリア」すなわち「ニューイングランド」は、アメリカの気候から一瞥した先住民の女性まであらゆることの韻律によるカタログになっており、イギリスの支配のために「悲しく寂しい」女性の痩せて行く姿としてこの国を特徴付ける弱く私的な「奇想詩」あるいは「フィクション」で形作られている。
続いて1627年5月には、イギリス西部のアウトドアマンで、弁護士、文筆家かつ植民地冒険者であったメリーマウントのトマス・モートンが、毛皮交易プランテーションでのより大きな成功を祝い発展させるために5月柱を建て、「詩」"Poem" と「歌」"Song" を貼り付けた。1つはイギリス人とインディアンが共に集いアメリカの成功のために交易をすべきであるという濃厚に文学的な綱領であり、もう一つはやはりアメリカ的な含蓄に溢れた軽い「酒飲み歌」だった。これらは、モートンの他のアメリカ詩と共に1637年の『ニューイングランドの楽園』という本に纏められて出版された。このことでモートンはアメリカで最初の英語による詩人と位置付けられている〔See Jack Dempsey, ed., "New English Canaan by Thomas Morton of 'Merrymount'" and his biography "Thomas Morton: The Life & Renaissance of an Early American Poet" (Scituate MA: Digital Scanning 2000)〕。

イギリス領植民地で最初に記録された詩人の一人がアン・ブラッドストリートであり、英語で書いた女性詩人として最も初期の一人となっている〔Anne Bradstreet: "our earliest woman poet"〕。彼女が生きている間に出版した詩は宗教と政治を主題にしている。また家庭と家族生活や夫に対する愛情を優しく喚起するものも書き、その多くは20世紀まで出版されることはなかった。エドワード・テイラー(1642年頃 - 1729年)は、初期植民地時代には通常に見ることのできた高度に鍛えられた形而上詩の形態でピューリタンの美徳を解説する詩を書いた。
こうしたピューリタンの倫理という限定された主題が、17世紀と18世紀初期の植民地で書かれた詩の大半の基調となっていた。ニューイングランドで出版された最も初期の「非宗教的な」詩は、サミュエル・ダンフォース(1626年 - 1674年)の1647年から1649年に掛けての年鑑〔Danforth, Samuel. "Almanacks" 〕にあるものであり、ケンブリッジで出版された。これには「判じ物詩」と共にいも虫、鳩、地震およびハリケーンに関する詩も含まれていた。ダンフォースは詩人であると同時にピューリタンの牧師でもあり、精神的なメッセージから遠ざかるものではなかった。
植民地時代の目立ったアメリカ叙情詩の書き手としてもう一人、奴隷フィリス・ウィートリー(1753年 - 1784年)がいる。その詩集『様々な主題、宗教、道徳についての詩』(''Poems on Various Subjects, Religious and Moral'')は1773年に出版された。彼女は少なくとも植民地では当時の最も良く知られた詩人の一人であり、その詩は当時のニューイングランド文化の典型的なものであ、宗教的あるいは古典的な観念に思いを巡らせるものである。
18世紀にはその詩に合う主題としてアメリカそのものが注目されるようになった。この傾向はフィリップ・モーリン・フレノー(1752年 - 1832年)の作品で最も顕著である。フレノーはその著作の中でインディアンに対する異常なくらい同情的な姿勢でも著名であり、時にはイギリス系アメリカ文化や文明に対して懐疑的な考察もある。しかし、基本的に植民地で書かれたものから予想されるように、この植民地後期の詩人は概して形式や構文では幾らか古い様式を採っており、イギリスのウィリアム・ブレイクロバート・バーンズの時代にアレキサンダー・ポープトマス・グレイの手段や方法を採用していた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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