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アメリカ合衆国有色軍(英語:United States Colored Troops, USCT) は、兵員として主にアフリカ系アメリカ人を用いて編成されたアメリカ陸軍の連隊群である。ただし他にも太平洋諸島の有色人種やアジア系アメリカ人、インディアンなどもUSCT連隊に編入されて戦った。初めは南北戦争中に募兵され、1865年4月の同戦争終結時には175個連隊が存在して北軍兵力の約一割を占めた。後にはアメリカ西部でインディアン戦争に従軍しバッファロー・ソルジャーと呼ばれた。これはインディアンが彼らの髪をバイソン属の体毛に見立てた呼称である。 ==歴史== ===押収法=== 1862年7月、アメリカ合衆国議会は第2を可決した〔Rodriguez, Junius P. ''Slavery in the United States: A Social, Political, and Historical Encyclopedia'', ABC-CLIO, 2007, vol. 2, pg 241〕。これはアメリカ合衆国に対して叛乱する所有者の奴隷を解放したもので、これと民兵法により大統領は解放奴隷を任意の軍務に就かせることが可能となった。エイブラハム・リンカーン大統領は合衆国に留まった四つの境界州における世論(多数の奴隷所有者がいた)と民主党(戦争は支持するが、共和党ほど奴隷制廃止に前向きでは無かった)に配慮して黒人兵士の募兵に当初反対したが、有償の軍属として雇用することは容認した。 1862年夏の第二次ブルランの戦いの敗戦などで北軍が後退したのを受け、リンカーンは北軍と交戦状態にある全ての州の奴隷を解放することとした。1862年9月、リンカーンは奴隷解放宣言の予備宣言を発布し、1月1日を以って叛乱州の全奴隷を解放するとした。1863年1月には本宣言が発布され、以後有色連隊の募兵が本格的に始まった〔Cornish, ''The Sable Arm'', pp. 29-111.〕。 1863年5月22日、アメリカ合衆国旧陸軍省は一般命令第143号(en)を発令し、アフリカ系アメリカ人兵士の募兵を担当するアメリカ合衆国有色軍局を設立した〔Cornish, ''The Sable Arm'', p. 130.〕。以後、歩兵、騎兵、工兵、軽砲、重砲を含む各種連隊が北部州全域から募兵され、アメリカ合衆国有色軍(USCT)と呼ばれるようになった。 南北戦争最後の2年間では178,000人以上の自由黒人と解放奴隷から成る175個連隊が任務に就いており、危機的な時局において北軍を助けた。戦争終結時点のUSCT兵力は北軍全体の一割に相当した。USCTは南北戦争を通じて2,751人の戦闘被害を出し、その他の原因を含めて68,178人を失った。黒人白人を問わず最大の犠牲者を出した原因は病気だった〔Cornish, ''The Sable Arm'', p. 288; McPherson, ''The Negro's Civil War'', p. 237.〕。 USCT連隊の指揮は白人士官が執り、黒人兵士の昇進は制限されていた。1863年末、フィラデルフィアの有色軍募兵監理委員会は有色軍への応募者のために無料軍事学校を開設した〔Cornish, ''The Sable Arm'', p. 218.〕。当初、黒人兵士は白人兵士より低賃金だったが、彼らと支援者のロビー活動により後に同額となった〔McPherson, ''The Negro's Civil War'', Chapter XIV, "The Struggle for Equal Pay," pp. 193-203.〕。USCT連隊に所属した著名人としてはやフレデリック・ダグラスの子息などが居る。 南北戦争を通じて有色軍が示した勇気はアフリカ系アメリカ人が新たな権利を獲得する上で重要な役割を果たした。元奴隷で奴隷制度廃止運動家のフレデリック・ダグラスは次のように述べている。 ひとたび黒人に真鍮でできたU.S.の文字を身につけさせ、ボタンに鷲の徽章を許し、マスケット銃を肩にのせ銃弾をポケットに入れたならば、黒人が市民権を得る権利を得たことを、地上の如何なる権力であろうと否定できない〔"The Fight for Equal Rights: Black Soldiers in the Civil War" .〕。 歴史家のは、奴隷が自らを組織化して南北戦争を通じて北軍に協力した場合、USCTの幾つかの連隊を含め、その行為は他の何よりも大規模な奴隷反乱と看做せるのではないかと述べている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アメリカ合衆国有色軍」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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