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アメリカ合衆国独立戦争 : ミニ英和和英辞書
アメリカ合衆国独立戦争[あめりかがっしゅうこく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

アメリカ合衆国 : [あめりかがっしゅうこく]
 (n) the United States of America
: [ごう]
 【名詞】 1. go (approx. 0.18l or 0.33m) 
合衆国 : [がっしゅうこく]
 【名詞】 1. United States of America 2. federal state
: [しゅう]
 【名詞】 1. masses 2. great number 3. the people 
: [くに]
 【名詞】 1. country 
: [どいつ]
 (n) Germany
独立 : [どくりつ]
  1. (adj-na,n,vs) independence (e.g., Ind. Day) 2. self-support 
独立戦争 : [どくりつせんそう]
 【名詞】 1. American Revolutionary War 2. War of Independence
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦争 : [せんそう]
  1. (n,vs) war 

アメリカ合衆国独立戦争 ( リダイレクト:アメリカ独立戦争 ) : ウィキペディア日本語版
アメリカ独立戦争[あめりかどくりつせんそう]

アメリカ独立戦争(アメリカどくりつせんそう、)は、1775年4月19日から1783年9月3日までの、イギリス本国(グレートブリテン王国)とアメリカ東部沿岸のイギリス領の13植民地との戦争である。現在のアメリカではアメリカ独立革命()もしくは革命戦争()と呼ばれ、主にイギリスではアメリカ独立戦争と呼ばれている〔イギリスの著述家は一般にまたはを好む。戦争名の使い方についてはを参照した〕。なお、日本の歴史教科書では、「アメリカ独立戦争」と表記することもあれば〔『社会科 中学生の歴史 日本の歩みと世界の動き〈初訂版〉』(帝国書院。平成17年3月30日 文部科学省検定済。教科書番号:46帝国 歴史-713)p 137の「③ 革命の広がりと西洋の思想の伝播」というタイトルがついた地図に「アメリカ独立戦争(1775~83年)」と記載されている。〕、単に「独立戦争」と表記することもある〔『中学社会 歴史』(教育出版。平成8年2月29日 文部省検定済。教科書番号:17教出 歴史762)p 154の本文、『社会科 中学生の歴史 日本の歩みと世界の動き〈初訂版〉』(帝国書院。平成17年3月30日 文部科学省検定済。教科書番号:46帝国 歴史-713)p 137の本文、『詳説世界史』(山川出版社。1997年3月31日 文部省検定済。教科書番号:81山川 世B575)p 206のタイトル。〕。
この戦争によって、植民地住民はイギリスの支配を拒否しアメリカを政治的独立に導くことに成功した。1775年、革命派は13植民地政府の全てを掌握すると共に、主に政治と立法を担当する第二次大陸会議と軍事を担当する大陸軍を発足させた。翌年、アメリカ独立宣言を発して、正式にアメリカ合衆国という国家を形作った。戦争の全期間を通して、イギリスは優勢な海軍力によってアメリカ東海岸沿海を制し、海岸に近い幾つかの都市を占領したが、陸軍の兵数は比較的少なく、支配地域は限定的であった。
アメリカ大陸軍がサラトガの戦いで勝利して間もない1778年フランスがアメリカ側に付いて参戦した。スペインネーデルラント連邦共和国(オランダ)もその後の2年以内にアメリカ側に付いた。1781年フランス海軍チェサピーク湾の海戦で勝利したことをきっかけに、アメリカ大陸軍はヨークタウンの戦いでイギリス軍を降伏させ、実質的な戦闘は終了した。1783年のパリ条約で戦争は終結し、イギリスはアメリカ合衆国の独立を認めた。

== 植民地課税問題 ==
アメリカ植民地が独立への道を歩み始めたそもそものきっかけはイギリス本国による課税の強化にあり、それはフレンチ・インディアン戦争(1754 - 1763)による財政危機の解消を目的としたものであった。イギリス政府は1764年に砂糖法1765年には印紙法を成立させて植民地からの税収増を図ったが、特に印紙法はアメリカで広範な反対運動を呼び起こし、撤廃に追い込まれた。
1767年イギリス本国議会タウンゼンド諸法を制定して植民地へ新たに税を課そうと試みると、またも反対運動が盛り上がり、1770年にタウンゼンド関税も撤廃された。だが、このとき茶に対する課税は廃止されず、本国の茶は植民地の不満の象徴となった。
1773年茶法によって東インド会社のおが安く植民地に流入することになると植民地商人の怒りは頂点に達し、1773年12月にはボストン港停泊中の東インド会社船に暴徒が乱入し、積載されていた茶を海に投棄した(ボストン茶会事件)。
1774年、イギリス議会は植民地に対して次々と懲罰的な立法措置を行なった。こうした危機にチャタム伯ウィリアム・ピット(大ピット)は滞英中のベンジャミン・フランクリンと協力して議会に植民地と和解するようはたらきかけた。しかし、首相フレデリック・ノースは国王ジョージ3世の強い意志を背景に植民地に強い態度で臨む決意だった。
一連のイギリス側の政策に対し、13植民地は対策協議のために大陸会議を開いて本国との和解の道を探ったが、打開できないままであった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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