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荒子
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アラコ株式会社は、かつて存在したコーチビルダー・部品メーカーである。トヨタ自動車株式会社の子会社であった。 2004年(平成16年)10月1日に吸収分割により、トヨタ車体株式会社に車体部門を譲渡後、同日に、内装部門と豊田紡織株式会社、タカニチ株式会社と合併し、消滅した。存続会社は豊田紡織株式会社であり、同日トヨタ紡織株式会社に社名を変更した。 なお2015年(平成27年)7月1日に、トヨタ紡織株式会社の子会社である株式会社KYOEIARACOが、アラコ株式会社に商号変更した。本稿では主に2004年に消滅した旧・アラコ株式会社について述べる。 == 沿革 == === 旧・アラコ株式会社 === * 1946年(昭和21年) 豊田自動織機製作所自動車部(現 トヨタ自動車)の板金職工であった荒川儀兵衛(あらかわぎべえ)が独立後、名古屋市南区に「荒川鈑金工業所」を設立、自動車車体の修理と部品の再生を始める * 同年 豊田喜一郎のたっての願いでトヨペット・SA型の試作車のためのボディーを製作する * 1947年(昭和22年) SA型の出来ばえが認められ、トヨタ自動車の助言を受け、法人組織、「荒川鈑金工業株式会社」となる * 1949年(昭和24年) トヨタ自動車を中心に自動車の内装品の生産を開始 * 1955年(昭和30年) クラウンRS型の内装を手がける * 1959年(昭和34年)9月 伊勢湾台風で工場が浸水被害に遭う * 1960年(昭和35年) 寿工場操業開始 * 1961年(昭和36年) 吉原工場着工 * 同年6月 「荒川車体工業株式会社」へ社名変更 * 1962年(昭和37年) 吉原工場操業開始、ランドクルーザー 40系増産 * 1968年(昭和43年) 本社工場を名古屋市南区から豊田市吉原へ移転 * 1975年(昭和50年) ランドクルーザー BJ40型をベースに水陸両用車を開発 荒川儀兵衛自らが行った鞍ヶ池でのテストでは、水上走行には成功したものの、上陸時にロープがフックから外れ水没し、計画を断念する * 1988年(昭和63年)7月 社名を「アラコ」に変更 * 1995年(平成7年) トヨタ・チーム・アラコ(TTAR)として、ランドクルーザー 80系でパリ・ダカールラリーに初出場。LX450でボディーメーカーとしては初となるレクサスブランドの組み立てを担当 * 1997年(平成9年) 超小型EV「エブリデー」生産開始 * 1998年(平成10年) ランドクルーザーの生産累計300万台を達成 * 1999年(平成11年) 全工場でISO 14001を取得 * 2000年(平成12年) 超小型EV「エブリデーコムス」生産開始 * 2002年(平成14年)8月6日 猿投工場開発センター完成 * 2004年(平成16年)10月1日、車両事業部門をトヨタ車体株式会社へ譲渡。内装事業部門とタカニチ株式会社、豊田紡織株式会社と合併、トヨタ紡織株式会社となる(合併比率はアラコ、タカニチ、豊田紡織で、2.85:21.5:1) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アラコ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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