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アラスカ州議会議事堂 : ミニ英和和英辞書
アラスカ州議会議事堂[どう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [す, しゅう]
 (n) sandbank
州議 : [しゅうぎ]
 【名詞】 1. (abbr) state legislature 2. state or provincial parliament
州議会 : [しゅうぎかい]
 【名詞】 1. state legislature 2. state or provincial parliament
議会 : [ぎかい]
 【名詞】 1. Diet 2. congress 3. parliament 
: [かい]
  1. (n,n-suf,vs) meeting 2. assembly 3. party 4. association 5. club 
会議 : [かいぎ]
  1. (n,vs) meeting 2. conference 3. session 4. assembly 5. council 6. convention 7. congress 
議事 : [ぎじ]
 【名詞】 1. proceedings 
議事堂 : [ぎじどう]
 【名詞】 1. Diet building 
: [こと]
 【名詞】 1. thing 2. matter 3. fact 4. circumstances 5. business 6. reason 7. experience 
: [どう]
  1. (n,n-suf,n-pref) (1) temple 2. shrine 3. hall 4. (2) prefix to building meaning "magnificent" 

アラスカ州議会議事堂 ( リダイレクト:アラスカ州会議事堂 ) : ウィキペディア日本語版
アラスカ州会議事堂[あらすかしゅうかいぎじどう]

アラスカ州会議事堂(アラスカしゅうかいぎじどう、Alaska State Capitol)は、アメリカ合衆国アラスカ州の州都ジュノーに立地する同州議会の議事堂。庁舎は4thストリート、メイン・ストリート、5thストリート、およびスワード・ストリートに囲まれたブロックに立地している。6階建ての鉄筋コンクリート造の庁舎内にはアラスカ州議会の上下両院の議場のほか、州知事室および州副知事室が置かれている。
==歴史==
1792年、ロシア領アラスカの最初の首都はコディアックに置かれた。1808年に植民地の首都はニューアークエンジェル(現在のシトカ)に移された。1867年にアメリカ合衆国がアラスカを購入すると、アラスカはアラスカ県として陸軍の管轄下に置かれ、ジェファーソン・C・デービス少将が最初の司令官に任命され、県都がシトカに置かれた。しかし1877年にネズ・パース戦争が勃発すると、陸軍はアラスカから戦地へ再配置されると、アラスカ県は財務省の管轄下に置かれた。その翌々年、1879年海軍中佐レスター・A・ベアーズリーがシトカに駐留地を創設すると、今度はアラスカ県は海軍の管轄下に置かれた。やがて1884年連邦議会アラスカ地区を創設し、初代総督にジョン・ヘンリー・キンケイドを任命し、シトカを地区の「臨時首都」とした。1900年、連邦議会はシトカに代わって、地域経済の成長が著しく、重要度を増していたジュノーに地区の首都を移す法案を可決させた。

1912年アラスカ準州が成立すると、翌1913年、ジュノー市内のエルクス・ロッジ・ホールで最初のアラスカ準州議会が開かれた。その後、1931年に最初の恒久的な準州会議事堂が完成するまで、アラスカ準州議会は開催地を転々としながら行われた。〔Allen, June. Alaska's First Legislature, 1913: Oh, How Times Have Changed! . ''The Alaskan Southeaster Magazine''. Ketchikan, Alaska. 2003年1月18日.〕。
連邦議会はもともと、1911年にはアラスカ準州の議事堂建設予算を承認していたが、第一次世界大戦の勃発と用地買収の難航により建設は遅れ、1929年になってやっと、地元住民の寄付金も得て建設が始まった。「連邦・準州ビルディング」(''Federal and Territorial Building'')と名付けられたこの庁舎は1931年2月14日に開館した。このアール・デコ調の庁舎は、ジェームズ・A・ウェットモアを筆頭に、財務省のお抱え建築家によって設計されたものであった。
この庁舎は、初期にはその名が示す通り連邦政府によって使われ、連邦裁判所および郵便局が入っていた。1959年にアラスカが州に昇格した後は、この庁舎は専ら州政府によって使われている。
アラスカが州に昇格し、州会議事堂に州政府が置かれた後も、ジュノーの州都としての地位は安泰ではなかった。1960年、アンカレッジ・デイリー・タイムズのロバート・アトウッドはアラスカの経済中心地の近くに州都を移すことを推す社説を著した。その結果、1960年にはクック湾岸・レールベルト地域に、また1962年にはアンカレッジから30マイル(48km)以上離れた西アラスカに州都を移す住民投票が行われたが、いずれも否決となった。しかし、3度目の遷都案となった、アンカレッジ北郊、マタヌスカ・スシトナ郡内のウィローに州都を移す住民投票は1976年に通過した。しかし1978年1982年の2度にわたって、遷都予算は否決され、州都はジュノーに留まった。退任間近となった当時の州知事ジェイ・ハモンドは、この州都移転問題について、ついに「腫れ物をランセットで切り開くことができた」と語った〔Borneman, Walter R. ''Alaska: Saga of a Bold Land''. pp.488-491. New York: HarperCollins. 2003年. ISBN 0-06-050307-6.〕。その後も、1994年にはワシラに州都を移す案が、また2002年には州議会をマタヌスカ・スシトナ郡で開く案が出たが、いずれも否決された。
州会議事堂の建て替えも計画された。2004年、新庁舎のデザインをめぐってコンテストが開かれ、カリフォルニア州サンタモニカの建築事務所モーフォシスが設計した、ガラスと鋼鉄で造られた、卵型のアトリウムを持つ案が優勝した。しかし、優勝案よりも親しみをこめた注目を集めたのは、地元アラスカ州出身の建築家マリアン・クサトが設計した、フェデラル様式とロシアの教会の建築様式を組み合わせた、アメリカ合衆国・ロシア両国の伝統に裏付けられたアラスカ州の歴史を反映した案であった〔Cusato, Marianne. Alaska Deserves a Real Capitol Building, Not an Egg . ''The Town Paper''. Kentlands, Maryland. 2005年春.〕。しかし、州政府によるサポートも十分に得られず、予算も不足していたため、結局、翌2005年には、全ての案が廃案となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アラスカ州会議事堂」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Alaska State Capitol 」があります。




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