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アララハ : ミニ英和和英辞書
アララハ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


アララハ : ウィキペディア日本語版
アララハ

アララハ(Alalakh、Alalah)はアムク川(Amuq)の河谷にあった古代オリエント都市国家の遺跡。現在のトルコ南部、シリアとの国境に近いハタイ県アンタキヤアンティオキア)の近くにある。テル・アトチャナ(Tell Atchana)という大きな遺丘テル)が、古代のアララハの跡であると同定されている。
== 歴史 ==
アララハは紀元前2千年紀青銅器時代中期に成立した。「肥沃な三日月地帯」における初期の大都市の一つである。アララハの城塞の上に建てられた最初の宮殿は紀元前2000年頃、メソポタミア南部のウル第三王朝と同じ頃に遡る。
この街についての文字で残された歴史は、マリから出土した紀元前18世紀の粘土板に「アラハトゥム」(Alakhtum)の名で書かれたところから始まる。当時アララハは近くの大国ヤムハド王国(現在のアレッポを中心とする)の一部であった。粘土板文書によれば、スム=エペヘ王(Sumu-epeh)はアラハトゥムの地を義理の息子であるマリ王ジムリ・リムに売却している。紀元前1765年にハンムラビがマリを滅ぼすと、アララハは再度ヤムハドの宗主権下に入ったとみられる。アレッポの王アッバ=イリ(Abba-ili)は兄弟である(Yarim-Lim)にアララハを与えたが、王国の再編成の後に反乱が起きたとみられ、ヤリム=リムとその子孫による王朝がアララハに築かれ、アレッポの覇権の下で紀元前17世紀終わりまで続いている。しかしアララハの街は破壊され王朝は終わった。この破壊はヒッタイトの王ハットゥシリ1世の遠征によるものと考えられている。
1世紀弱の中断の後、アララハは地方の小さな王国の首都として歴史に再登場する。この王朝の創始については、王朝を築いた王の自伝とみられる碑文の書かれた像からその過程がうかがわれる。碑文によれば、紀元前15世紀前半、アレッポの王の息子(Idrimi)がエマルに逃げ、その後アララハにやってきて実権を握り、フルリ人が建てた当時の強国ミタンニの王(Barattarna)の封臣として認められた。碑文にはイドリミの人生の浮き沈みが描かれている。彼の家族がエマルに逃亡せざるをえなくなった後、彼は家族から離れ、カナンの地のアミヤ(Ammija)にいた(Hapiru)の集団に加わった。ハピルの人々は彼を「自分たちの大君主の息子」と認め、彼の周りに集った。7年間彼らと暮らした後、彼はハピルの戦士を率いて海からアララハを攻め落とし、その王になったという。
しかし発掘の記録によれば、この像はイドリミが生きていた時代より数世紀後の地層から見つかっており、その史実性に関して学者の間でも議論がある。それでもなお、年代の推定できる粘土板からの記述がこの像の碑文の裏付けとなりうる。アララハの王でイドリミの息子(Niqmepuh)はミタンニの王(Saushtatar)の同時代人であるが、この事実は、イドリミがサウシュタタル以前の王バラタルナの同時代人であるという碑文の主張を裏付ける。
イドリミの子ニクメプ(Niqmepuh)と、その子イリム=イリンマ(Ilim-ilimma)統治下のアララハの社会経済史は、出土した粘土板によく記録されている。一方、イドリミ自身の名はこれら粘土板には稀にしか登場しない。
紀元前14世紀半ば、ヒッタイトのシュッピルリウマ1世はミタンニの王トゥシュラッタ(Tushratta)を破り、アララハも含めたシリア北部の支配権を握り、アララハはヒッタイトに併合されたとみられる。粘土板文書では、ウガリットの王がヒッタイトの王シュッピルリウマ1世に、ムキシュ(Mukish)、ヌハッサ(Nuhassa)、ニイェ(Niye)などの王国がヒッタイトへ反乱を企てていると警告したことを受け、シュッピルリウマ1世はウガリット王国に見返りとしてムキシュの土地(アララハの土地でもある)を譲渡したと書かれている。アララハは紀元前12世紀アナトリア海岸部やレバントの他都市同様「海の民」に破壊されたとみられ、以後再建されなかった。オロンテス川河口(現在のサマンダーの近く)にある港湾都市アル・ミナが、鉄器時代以後はアララハに取って代わった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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