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アラン・トランメル(Alan Stuart Trammell , 1958年2月21日 - )は。アメリカ合衆国・カリフォルニア州ガーデングローブ出身の元プロ野球選手(遊撃手)のちに監督。右投右打。 MLB・デトロイト・タイガースで活躍した。タイガース退団後はシカゴ・カブスやアリゾナ・ダイヤモンドバックスでベンチコーチ(日本のプロ野球のヘッドコーチに相当)を務めた。現役時代、日本ではしばしば「トラメル」と表記された。 == 経歴 == === 現役時代 === デトロイト・タイガースに入団し、マイナーでのプレイの後、9月9日にフェンウェイ・パークでのボストン・レッドソックスとのダブルヘッダー第2試合でメジャーデビュー。 長年にわたって二遊間の「キーストン・コンビ」を組むことになるルー・ウィテカーも同じ試合でデビューを果たした。フルシーズン一年目のには139試合に出場。新人王をとったのはウィテカーであった。 には打率.300を記録して初のオールスター出場を果たす。守備力にも優れ、この年初のゴールドグラブ賞を受賞。遊撃手という名手揃いのポジションにあって、以後通算4回同賞を獲得する。 その後二年続けて打率.258の不振に終わったが、には.319を打ち、初の二ケタ本塁打(14)、自己最多の30盗塁を記録し、ア・リーグカムバック賞を受賞。 そしてにはチームは最初の40試合で35勝(メジャー記録)をあげ、その勢いで地区優勝を果たす。 トランメル自身も打率.314を記録。カンザスシティ・ロイヤルズとのチャンピオンシップシリーズ(この年まで5回戦制)では打率.364、1本塁打、1三塁打をマークし、チームは3連勝でワールドシリーズに進出。サンディエゴ・パドレスとのワールドシリーズではトランメルは20打数9安打、打率.450を記録。チームは4勝1敗でワールドチャンピオンに輝き、トランメルはシリーズMVPに選ばれた。 には初の20本塁打(21本)を打つ。この年タイガースの内野陣は一塁ダリル・エバンス、二塁ウィテカー、三塁ダネル・コールズ(のち中日・阪神)、遊撃トランメルと内野手全員が20本塁打を打つ。 その年のオフに四番・捕手のランス・パリッシュがフリーエージェント(FA)でフィラデルフィア・フィリーズに移籍。それまで主に二番を打っていたトランメルは、監督スパーキー・アンダーソンによって、より四番で起用されることとなる。 その1987年には終盤首位のトロント・ブルージェイズを追い上げ、9月にはトランメルが18試合連続ヒットを含む打率.416、17打点と打ちまくり、チームは残り2試合で逆転し地区優勝を決める。 トランメル自身も打率.343、28本塁打、105打点、200安打の大活躍。タイガースの選手で200安打と100打点を同じ年にマークしたのはアメリカ野球殿堂入りした大先輩アル・ケーライン(1955年)以来32年ぶりであった。MVP投票でもジョージ・ベル(ブルージェイズ)に次ぐ2位の高得票を得た。 6月21日のヤンキース戦で、3-6とリードされていた9回裏に逆転サヨナラ満塁本塁打を打つ。タイガースはこの試合をはさんで3試合連続でヤンキースにサヨナラ勝ちを収め、サヨナラ負け連続3試合目の翌日、ヤンキースはジョージ・スタインブレナーオーナーがビリー・マーチン監督を解任。5度目にして最後の解任となった。 以後は膝・肘の故障に悩み、には29試合の出場に終わる。 限りで現役を引退。なお、トランメルとウィテカーは通算1,918試合に共に出場している。これは、ポジションを問わず、特定の二選手が同じ試合に出場した数としては、ア・リーグ記録である。この両者が完成させた併殺は、二塁・遊撃のコンビとしてはメジャー史上最多である。 現役時代の背番号「3」は、トランメルの引退後長らく欠番となっていたが、2007年にニューヨーク・ヤンキースより移籍したゲイリー・シェフィールドが、トランメルの希望によってつけている。シェフィールドの退団後もしばらく欠番状態が続いたが、2014年シーズンからはイアン・キンズラーが着用している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アラン・トランメル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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