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アラーウッディーン・ハルジー : ミニ英和和英辞書
アラーウッディーン・ハルジー[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アラーウッディーン・ハルジー ( リダイレクト:アラー・ウッディーン・ハルジー ) : ウィキペディア日本語版
アラー・ウッディーン・ハルジー[ちょうおん]

アラー・ウッディーン・ハルジーعلاء الدين خلجی ‘Alā’al-Dīn Khaljī, 1266年もしくは1267年1316年1月2日)は、北インドを支配したデリー・スルタン朝の一つであるハルジー朝の第3代スルターン(2代目とも数えられる)(在位1296年–1316年)。モンゴル帝国によるインド侵入を5度に渡って撃退し、自らを「第二のアレクサンドロス大王(スィカンダル・サーニー)」と称した。南インドに初めてイスラム勢力を拡大し、インド南部におけるイスラム教信仰の基盤を築いた〔グプタ (1978–1981)、199-200頁。〕〔小名 (2002)、567-568頁。〕。デリー・スルタン朝を「インド=トルコ人国家」から「インド=ムスリム帝国」へと方向付け、デリー・スルタン朝のインド化を進めた人物と評価されている〔佐藤、中里、水島 (1998)、54–55頁。〕。
アラー・ウッディーン・ムハンマド・シャーの名でも知られる。
== 生涯 ==

=== 即位以前 ===
奴隷王朝に加わったテュルク系部族集団ハルジー族の出身で、奴隷王朝を滅ぼしてハルジー朝を開いたジャラールッディーン・ハルジーの甥にあたり、娘婿でもあった。1292年に肥沃な土壌と高級織物の生産地である〔バットゥータ (1999)、374頁。〕デリー東部の都市カラーとその一帯の知事に任ぜられた。彼とジャラールッディーンの関係については、トゥグルク朝に仕官した経験もあるイブン・バットゥータが『大旅行記』で言及している。アラー・ウッディーンとジャラールッディーンの娘の夫婦仲は悪く、そのために義父であるジャラールッディーンとの関係もこじれたものになったと、バットゥータは説明している〔。彼はジャラールッディーンの寛容な施策に不満を持つ将校たちの支持を得るため、ジャラールッディーンの許可を得て1294年よりイスラム王朝の軍隊として初めて〔〔ヴィンディヤ山脈を越えてデカン高原に南進し、デカンのヒンドゥー教国ヤーダヴァ朝を攻撃した。
1296年にヤーダヴァ朝の首都デーヴァギリ(現在のダウラターバード)を占領し、17250ポンドの、200ポンドの真珠、28250ポンドのを戦利品として手に入れるが〔、デリー・スルタン朝の慣例に反してこの時に得た膨大な戦利品をジャラールッディーンに献上せず〔ロビンソン (2009)、127頁。〕、自軍の軍費に充てた。同年に自分の陣営を訪れたジャラールッディーンを暗殺し、ジャラールッディーン殺害に協力した部下にはあらかじめ約束しておいた褒賞を与え、3か月かけてゆっくりとデリーへと進軍した〔佐藤、中里、水島 (1998)、46頁。〕。一方、ジャラールッディーン暗殺の報告が届いたデリーでは、ジャラールッディーンの妃マリカイ・ジャハーンが彼女の子ルクン・ウッディーンをスルターンに擁立していた。アラーウッディーンはデリーに向かう道中でデカン遠征で得た戦利品〔〔真下 (2007)、110頁。〕で兵士を徴募し、沿道の住民には金銀貨をばらまいて人気取りを図るとともに〔デリーのマリカイ・ジャハーンの支持者を買収して〔彼らの寝返りを待った。デリーの貴族と軍人のほとんどがアラーウッディーンの支持に回るとデリーに入城し、ルクン・ウッディーンを盲目に、マリカイ・ジャハーンを居住に軟禁した上で、スルターンに即位した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アラー・ウッディーン・ハルジー」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Alauddin Khilji 」があります。




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