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アラー・ウッディーン・マスウード・シャー : ミニ英和和英辞書
アラー・ウッディーン・マスウード・シャー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アラー・ウッディーン・マスウード・シャー : ウィキペディア日本語版
アラー・ウッディーン・マスウード・シャー[ちょうおん]

アラー・ウッディーン・マスウード・シャー(Ala ud din Masud Shah, 生年不詳 - 1246年以降)は、北インドデリー・スルターン朝奴隷王朝の第7代君主(在位1242年 - 1246年)。第4代君主であるルクヌッディーン・フィールーズ・シャーの息子にあたる。
==生涯==
1242年5月、ムイズッディーン・バフラーム・シャーを殺害したチェハルガーニーらトルコ系貴族らは、デリーの「白の宮殿」と呼ばれる場所から三人の王子を解放した〔ロビンソン『ムガル帝国歴代誌』、p.117〕。協議と妥協の結果、バフラーム・シャーの甥アラー・ウッディーン・マスウード・シャーを擁立した〔荒『インドの「奴隷王朝」 中世イスラム王権の成立』、p.56〕〔ロビンソン『ムガル帝国歴代誌』、p.117〕。
だが、マスウード・シャーの治世もまたトルコ系貴族が実権を握っており、ワズィール(宰相)であるニザームル・ムルク・フワージャ・ムハッザブッディーンが事実上の支配者であった〔荒『インドの「奴隷王朝」 中世イスラム王権の成立』、p.57〕。
しかし、ムハッザブッディーンが対立するトルコ系アミールの一派に殺害されると、マスウード・シャーの残忍で放蕩とした性格も相まって、その王座は危うくなった〔ロビンソン『ムガル帝国歴代誌』、p.118〕〔荒『インドの「奴隷王朝」 中世イスラム王権の成立』、p.56〕。
1246年6月、マスウード・シャーは貴族らに幽閉され、獄中で一生を終えたという〔ロビンソン『ムガル帝国歴代誌』、p.118〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アラー・ウッディーン・マスウード・シャー」の詳細全文を読む




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