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アリシア・モリック : ミニ英和和英辞書
アリシア・モリック
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


アリシア・モリック ( リダイレクト:アリシア・モリク ) : ウィキペディア日本語版
アリシア・モリク

アリシア・モリク(''Alicia Molik'', 1981年1月27日 - )は、オーストラリアアデレード出身の女子プロテニス選手。2004年アテネ五輪で女子シングルスの銅メダルを獲得した選手である。4大大会でも、女子ダブルスで2005年全豪オープン2007年全仏オープンの2勝があり、混合ダブルスでは3度の準優勝があった。自己最高ランキングはシングルス8位、ダブルス6位。WTAツアーでシングルス5勝、ダブルス7勝を挙げた。身長182cm、体重72kg。右利き、バックハンド・ストロークは片手打ち。日本語では「アリシア・モリック」と表記されることも多い。
== 来歴 ==
1996年にプロ入り。1998年から女子テニス国別対抗戦・フェドカップオーストラリア代表選手となり、オリンピックは2000年シドニー五輪2004年アテネ五輪の2大会連続で出場した。2003年1月に地元オーストラリア・ホバートの大会で女子ツアーのシングルスに初優勝。長い間地味な存在の選手だったが、オリンピック直前の2004年8月第1週にスウェーデンストックホルムで行われた大会でツアー2勝目を果たすと、アテネ五輪でも波に乗って勝ち進み、シングルス準々決勝で日本杉山愛を 6-3, 6-4 のストレートで破った。準決勝ではフランス代表のアメリ・モレスモに 6-7, 3-6 で敗れ、準決勝敗退選手の2人で争われる「銅メダル決定戦」に回ったが、そこで当年度の全仏オープン優勝者アナスタシア・ミスキナを 6-3, 6-4 で破り、モリクが女子シングルスの銅メダル獲得選手となった。
オリンピックをはさんで、モリクは2004年ウィンブルドン全米オープンで2大会連続の混合ダブルス準優勝を記録した。パートナーはどちらも、同じオーストラリアの先輩選手トッド・ウッドブリッジであった。その後、彼女は10月末に室内コートの大会で2週連続優勝を成し遂げ、スイスチューリヒ大会の決勝では当年度のウィンブルドン優勝者マリア・シャラポワルクセンブルク大会の決勝ではディナラ・サフィナを破った。
2005年度は年頭にオーストラリアシドニーの大会でツアー5勝目を挙げる。その後、全豪オープンでアリシア・モリクは選手経歴のハイライトを迎えた。シングルスでは自己最高の準々決勝でリンゼイ・ダベンポートに 4-6, 6-4, 7-9 の大激戦で敗れたが、ロシアスベトラーナ・クズネツォワとペアを組んだダブルスで雪辱を果たし、決勝でダベンポートとコリーナ・モラリューのペアを 6-3, 6-4 で破って4大大会初優勝を決めた。全豪オープン終了後、モリクはシングルスで自己最高の「8位」にランクされ、オーストラリア出身の女子テニス選手としてウェンディ・ターンブル以来の世界ランキングトップ10入りを果たした。
ところが、テニス経歴のピークにあった時にモリクは慢性の前庭神経炎(英語:vestibular neuronitis)に見舞われ、4月過ぎからトーナメントで早期敗退が多くなった。これは内耳性の疾患で、この病気に冒されると、テニスに必要な視野とバランスの確保が難しくなる。モリクは発病後も体調の様子を見ながら何度かトーナメント出場を試みたが、結局うまくゆかず、しばらく病気療養のためテニスツアーへの参戦を断念する意向を表明した。
アリシア・モリクは2006年5月からツアーに本格復帰を果たし、10月の「ジャパン・オープン」にも出場した。2007年全仏オープンで、モリクはマラ・サンタンジェロイタリア)と女子ダブルスのペアを組み、決勝で杉山愛&カタリナ・スレボトニク組を 7-6, 6-4 で破って優勝した。モリクにとっては、病気からの復帰後初のタイトル獲得で、2005年全豪オープン以来2つ目の4大大会女子ダブルス優勝になった。この後ウィンブルドンの混合ダブルスでヨナス・ビョルクマンスウェーデン)とペアを組んだ準優勝がある。
2度目のオリンピック出場となった2008年北京五輪では、シングルスは1回戦でスペイン代表のマリア・ホセ・マルティネス・サンチェスに 1-6, 1-6 で完敗し、ケーシー・デラクアと組んだ女子ダブルスでも1回戦でイタリア代表のフラビア・ペンネッタ&フランチェスカ・スキアボーネ組に 4-6, 4-6 で敗退している。
オリンピック終了後の2008年9月4日、アリシア・モリクは27歳で現役引退を表明したが、2009年8月に現役復帰を発表し、選手活動を再開した。2011年全豪オープンが最後の公式試合となった。
2011年2月にモリクは結婚し、2012年1月に第1子の長男を出産した〔Alicia Molik silent on talk of tennis comeback, has first child 〕。2013年からフェドカップのオーストラリア代表監督を務めている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アリシア・モリク」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Alicia Molik 」があります。




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