翻訳と辞書
Words near each other
・ アリスティデス
・ アリスティデス (競走馬)
・ アリスティデス・ゴメス
・ アリスティデス・デ・ソウザ・メンデス
・ アリスティデス・ペレイラ
・ アリスティデス・ペレイラ国際空港
・ アリスティド・カヴァイェ=コル
・ アリスティド・カヴァイエ=コル
・ アリスティド・マイヨール
・ アリスティルス (クレーター)
アリスティード・デュプティ=トゥアール
・ アリスティード・ブリアン
・ アリスティード・マイヨール
・ アリステイディス・モライティニス
・ アリステイデス
・ アリステイデ・スタウロス
・ アリステウス
・ アリステウス (アデイマントスの子)
・ アリスト
・ アリストぬまくま


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

アリスティード・デュプティ=トゥアール : ミニ英和和英辞書
アリスティード・デュプティ=トゥアール[あーる]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
アール : [あーる]
 【名詞】《単位》 an are

アリスティード・デュプティ=トゥアール : ウィキペディア日本語版
アリスティード・デュプティ=トゥアール[あーる]

アリスティード・オーベール・デュプティ=トゥアール(Aristide Aubert Du Petit Thouars(Dupetit-Thouarsとも表記する)、1760年8月31日 - 1798年8月2日)はフランス海軍士官。ナイルの海戦の英雄であり、そこで死んだ。
== 経歴 ==
1760年8月31日にソミュール近郊のブーメーの城で生まれた。幼年学校(Prytanée National Militaire)で学んだ後、1778年にフランス海軍に入隊した。その年にウェサン島の海戦に参加し、1780年にはセネガルサンルイ攻略に加わった。
その後、アンティル諸島で、イギリスのロドニーと対抗したド・グッシェン伯の指揮の下、80門艦クーローヌに勤務し、1782年のセインツの海戦に参加した。
1792年に海尉(Lieutenant de Vaisseau)に昇進すると、その年は12門ブリッグ「ディリジャン」でジャン=フランソワ・ド・ラ・ペルーズの捜索に費やした。ポルトガルによってブラジルに収監されたが、1793年に解放された。その後、アメリカ合衆国で3年を過ごした。
フランスに戻ると再び海軍に呼び戻されて(それまで彼は貴族として収入の道を断たれていた)艦長に昇進し、1798年8月2日戦列艦トナンを指揮してナイルの海戦で戦死した。海戦ではイギリス艦マジェスティックと戦い、相手にウェストコット艦長を含む50名の戦死者と143名の負傷者という損害を与えた〔The Line Upon A Wind, Noel Mostert Pg. 274〕〔トナンはベレロフォンと舷側砲火を交わしたが、ベレロフォンはついにトナンを降伏させることはできなかった。Mostert, Pg. 269 as well as Billy Ruffian, David Cordingly Pg. 149〕。デュプティ=トゥアールは両脚と片方の腕を失ったが、小麦の入った桶の中から死ぬまで命令を出し続けた。
彼の最後の命令として伝えられているのは、トナンの旗をそのミズンマストに釘づけにし、決して船を渡すな、というものだった。しかし結局トナンはイギリスに捕獲された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アリスティード・デュプティ=トゥアール」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.