|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
アリス・クーパー(Alice Cooper, 1948年2月4日 - )は、アメリカの歌手、ミュージシャン。ミシガン州デトロイト出身、出生名はヴィンセント・ファーニア(Vincent Furnier)。アリス・クーパーの名は、若い頃に見た夢に出てきた魔女の名前からとったというエピソードが有名だが、真相は、可愛らしい女の子の名前を付けることで、実際の音楽性とのギャップを狙ったものであると、本人が『プライム・カッツ』のなかで証言している(現在は戸籍上の実名もアリス・クーパーに変えている)。 ビジュアル面での多角的な演出を打ち出し、シアトリカルなパフォーマンスを確立した、のちの極東におけるヴィジュアル系の鼻祖ともいえるロック・スター。70年代初頭にはグラム・ロックの範疇にカテゴライズされていた。唯一無二のショック・ロックを打ち出したことで多くの表現者に慕われている。1960年代後半 - 1970年代前半のフラワー・ムーヴメントなロックシーン・表現に対し、新しい時代の到来を告げた。オジー・オズボーン、エアロスミス、トーキング・ヘッズ、ガンズ・アンド・ローゼズをはじめ、様々な時代の様々なロックスターがアリス・クーパーのファンであることを吐露、アリス・クーパーのベスト盤特別収録曲ではバッキング・メンバーとして馳せ参じている。かのシュルレアリスム画家、サルバドール・ダリがアリス・クーパーのショウに出演を懇願し、実現したエピソードも有名。 2011年に、ロックの殿堂入りを果たした。 == 来歴 == 1969年、アルバム『プリティーズ・フォー・ユー』でデビュー。1971年発表の『エイティーン』、翌1972年に発表した『スクールズ・アウト』が大ヒットし、一躍メジャーアーティストとなった。『スクールズ・アウト』のオリジナル・アナログ盤は、紙製のパンティーに包まれていたことも話題となった。当時は、フランク・ザッパと親交があった。若い頃はパンダのようなメイクをしており、ダミ声ともいえる唱法で一世を風靡した。 『マッスル・オブ・ラヴ』を最後にバンドとしての「アリス・クーパー」は解散、1980年代前半には勢いを失うが、1980年代中期から再び脚光を浴び、1989年には豪華ゲストを迎えた『トラッシュ』が大ヒットを記録した。その後も幾度となく浮沈を繰返したが、現在においてもなお精力的に活動を行っており、キッスやエアロスミスと並ぶ、アメリカン・ハードロック界の重鎮ともいえる存在である。 また、アリスのバンドからは、後にウィンガーを結成するキップ・ウィンガーや、後にメガデス等で活躍するアル・ピトレリ等、多くの優れたプレイヤーが巣立っていった。 俳優としても活躍し、映画『エルム街の悪夢』シリーズの『ザ・ファイナルナイトメア』にも出演。 政治的にはテッド・ニュージェントと同様に保守派に属し、政治的な関心が非常に強い一面も持つ。時にその実際の姿が世間でイメージされているクーパー像との乖離を生じ、パーティー・クラッシャーと誤解されがちな一面も持つ。勿論、当人は政治的には堅物であるが、パーティーも好む気さくな人物である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アリス・クーパー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|