|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 作 : [さく] 1. (n,n-suf) a work 2. a harvest ・ 作戦 : [さくせん] 【名詞】 1. military or naval operations 2. tactics 3. strategy ・ 戦 : [いくさ] 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight
アリューシャン攻略作戦(アリューシャンこうりゃくさくせん、AL作戦)とは、第二次世界大戦中の1942年6月にアリューシャン群島西部要地の攻略又は破壊を目的として行われた日本の作戦。日本はダッチハーバーに対して空襲を実施し、アリューシャン群島の一部を占領した。 == 立案 == アリューシャン列島は、太平洋戦争開戦時の連合艦隊作戦計画では占領または攻撃破壊すべき外郭要地として定められていたが、これは十分検討を経て決められたものではなかった。その目的は、米の北方路の進行を阻止するもので、米ソ間の連絡を妨害し、シベリアに米航空部隊が進出するのを妨害しようとするものであった。日本本土の東方海面は幅広く開放されており、米空母の本土への奇襲を防止するには、莫大な哨戒兵力が必要であったが、海軍はこれに十分な兵力をさく余裕はなく一部を重点的に哨戒する他なかった。その状況にこの正面の警戒を担当する北方部隊は不安を抱いており、特に米空母の機動が開始されてからは、一層その不安がつのっていた。そのため北方部隊はアリューシャン列島西部のキスカ島を攻略し、水上航空基地を同地に進めて飛行哨戒を行い、北方航路を利用する米艦隊の機動をおさえることを連合艦隊、軍令部に意見具申していたが、同地攻略の兵力や配備航空兵力を出す余裕もなく、またソ連を刺激する心配もあったので、この意見は採用されず見送られていた〔戦史叢書43ミッドウェー海戦47頁〕。 一方、1942年2月、連合艦隊のセイロン島攻略作戦図上演習において米空母の機動に手を焼いたばかりでなく、アリューシャン列島西部のアッツ島に近いセミチ島から米国の最新大型爆撃機による帝都空襲が行われ、その一部が奇襲に成功したことで日本の同方面に対する関心はさらに高まった。また米空母の機動が頻繁となり、わが本土奇襲の懸念がますます増加してきた。そのため連合艦隊も軍令部もこの正面に対する関心が強まり、一部にはキスカ攻略の実施を考えるものも出てきていた。このような時期にミッドウェー作戦が内定した。そこで軍令部はミッドウェーと同時にアリューシャン列島西部を攻略し、米航空兵力の西進を押さえるとともに、両地に哨戒兵力を進出させれば、米空母のわが本土近接を一層困難にすることができると判断し、その作戦実施を連合艦隊にはかり、連合艦隊でもその必要性を認めていたし、攻略兵力にも余裕があったので直ちにこれに同意した〔戦史叢書43ミッドウェー海戦47-48頁〕。また、軍令部第一部長福留繁は「ミッドウェーを攻略しても、劣勢な米艦隊は反撃に出ないのではないかとの懸念が強かった。そこでアリューシャン列島方面への攻略作戦を行えば、同地が米国領であるため、ミッドウェー方面への米艦隊の出撃を強要する補助手段となるだろうとの含みもあり、実施を要望した。」と回想している。軍令部一課長富岡定俊は「ミッドウェー作戦の戦術的牽制にもなるだろうと考えた。」と回想している〔戦史叢書43ミッドウェー海戦48頁〕。同作戦によりミッドウェーとキスカ島間に哨戒機を往復させて米空母が近接するのを防ごうという意見の者もいたが、軍令部航空主務部員の三代辰吉も連合艦隊航空参謀の佐々木彰も、霧などの関係から到底そのような飛行哨戒は不可能と考え、全くその案は考慮しなかったと回想している〔戦史叢書43ミッドウェー海戦48-49頁〕。陸軍参謀本部もアリューシャン列島攻略の必要性をかねてから認めており、同作戦の実施は問題ではなかった〔戦史叢書43ミッドウェー海戦49頁〕。 1942年4月に上奏された「大東亜戦争第二段作戦帝国海軍作戦計画」には、「成る可く速やかに「アリューシャン」群島の作戦基地ヲ破壊又は攻略し米国の北太平洋よりする作戦企図を封止す」とある〔戦史叢書43ミッドウェー海戦51頁〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アリューシャン攻略作戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|