翻訳と辞書
Words near each other
・ アリュート語
・ アリュール
・ アリュール (名古屋市)
・ アリュール (渋谷区)
・ アリュール・オブ・ザ・シーズ
・ アリューロン層
・ アリューロン粒
・ アリョシャ・アサノヴィッチ
・ アリョーシャ
・ アリョーシャ!
アリョーシャ・アサノビッチ
・ アリョーシャ・ジャパリゼ
・ アリョーナ
・ アリョーナ・サフチェンコ
・ アリョーナ・サブチェンコ
・ アリョーナ・ザワルジナ
・ アリョーナ・ドゥブコワ
・ アリョーナ・ボンダレンコ
・ アリョーナ・ムーン
・ アリョーナ・ランスカヤ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

アリョーシャ・アサノビッチ : ミニ英和和英辞書
アリョーシャ・アサノビッチ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アリョーシャ・アサノビッチ : ウィキペディア日本語版
アリョーシャ・アサノビッチ[ちょうおん]

アリョーシャ・アサノビッチ(Aljoša Asanović、1965年12月14日 - )は、ユーゴスラビアスプリト(現・クロアチア領)出身のクロアチアの元サッカー選手。ポジションはMF。選手時代はサッカーユーゴスラビア代表サッカークロアチア代表として選出されている。日本語では「アリョシャ・アサノヴィッチ」、「アリオシャ・アサノビッチ」と表記される事もある。
1980年代後半から1990年代に活躍した。ズボニミール・ボバンダヴォール・シューケルらと共にクロアチア代表を、同国初のUEFA欧州選手権1996年イングランド大会)及びFIFAワールドカップ1998年フランスW杯)に導いた選手として名高い。
== 略歴 ==

=== クラブ ===
最初は、地元のハイドゥク・スプリトのユースでキャリアをスタート。1984年に同チームのプロチームに昇格し、6シーズンに渡ってプレーした。この間173試合46得点をマークし、1986-87シーズンには最初のタイトルとなるユーゴスラビア・カップ優勝を果たした。
1990年シーズンより、フランスリーグ・アンに移籍。メスを皮切りに、カンヌモンペリエに所属した。メスでは35試合13得点,カンヌでは28試合7得点,モンペリエでは43試合10得点を挙げ、4シーズンで106試合30得点と活躍した。
1994年シーズンより古巣のハイドゥク・スプリトに復帰。チームは1994-95シーズンの国内リーグ戦国内カップ戦の2冠を達成した。国内リーグ戦優勝により出場したUEFAチャンピオンズリーグ 1994-95では、予選でレギア・ワルシャワポーランド)相手に2ndレグで2得点を挙げる活躍(この試合は4-0で圧勝)を見せ、クロアチアのクラブ史上初の本戦出場を果たした。本戦のグループリーグでもベンフィカポルトガル)に次ぐ2位で突破し、準々決勝アヤックスオランダ)に1stレグで0-0と善戦するも、2ndレグで0-3と敗れたが、これまたクロアチアのクラブ史上初の8強入りを果たした。この大会での活躍が認められ、1995-96シーズンの途中にはリーガ・エスパニョーラレアル・バリャドリードレンタル移籍した。
1996年シーズン以降は、各国のクラブを転々とした。プレミアリーグダービー・カウンティを皮切りに、セリエAナポリギリシャ・スーパーリーグパナシナイコスブンデスリーガ (オーストリア)アウストリア・ウィーンを経て、2001年シーズンには初めてUEFA外で、Aリーグシドニー・ユナイテッドでプレーした。2002年に、古巣・ハイドゥク・スプリトに3度目の復帰をして1試合だけ出場し、現役生活に終止符を打った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アリョーシャ・アサノビッチ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.