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アリー・アブドッラー・サーレハ(、1942年3月21日〔 〕 - )はイエメン共和国の政治家。同国大統領(初代)を務めた。 旧北イエメン共和国(イエメン・アラブ共和国)の陸軍総司令官を経て北イエメン共和国大統領となり、 1990年の南北イエメン統合によって統一政府の初代大統領に選出される。北イエメン時代を含めれば1978年から2012年まで34年間にわたり国家指導者の立場にあった。よって北イエメン大統領時代からカウントすれば、在任年数で赤道ギニアのテオドロ・オビアン・ンゲマ大統領を上回り、2012年の退任時点で世界最長政権を率いる人物であった(君主を除く)。 2011年12月22日からは事実上、副大統領のアブド・ラッボ・マンスール・ハーディーに大統領権限を移譲している。現在もイエメン軍元帥、及び国民全体会議党首として一定の影響力を維持し、反政府勢力フーシと連携して、ハーディー大統領派と事実上の内戦を戦っている〔Financial Times2015/3/24〕。 軍人としては北イエメン軍の総司令官を務め、現在の統合された南北イエメン軍でも陸軍元帥の名誉称号を与えられている。こうした軍との深い信頼関係が権力掌握における重要な後ろ盾となった。 ==人物== イエメン・ムタワッキリテ王国のアル=アフマル市に生まれる〔(サナア県バイト・アル=アフマル村とするものもある)。同地はの統治する地域で、サーレハ家はシーア派(ザイド派)を信仰するアラブ系イエメン人であった〔。ザイド派はイエメンでは主流とされているイスラム教宗派だが、サーレハ家は厳密にはさらにその中でも少数派の宗派に属しており、ザイド派の多数派が伝統的に王侯貴族を独占していた北イエメン王国のザイド・イマーム制では国政に関わる権利を持たなかった。 1958年、サーレハは中等教育を途中で放棄すると北イエメン王国軍に入隊して兵士となった。1960年には北イエメン王立士官学校で学び、下士官として伍長に昇進した〔。北イエメン革命では大佐らの軍事クーデター(北イエメン革命)に賛同し、革命終了後に北イエメン共和国軍少尉に昇進する〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アリー・アブドッラー・サーレハ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Ali Abdullah Saleh 」があります。 スポンサード リンク
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