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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
アルカジー・グカシャン(、1957年6月22日 - )は、事実上独立した「ナゴルノ・カラバフ共和国」の政治家。初代外相および第2代大統領を務めた。 == 経歴 == 1957年6月22日にアゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国領内ナゴルノ・カラバフ自治州の州都ステパナケルトに生まれ、1979年にのロシア語・文学部を卒業した。1981年から『』紙の副編集長となり、翌1990年1月にバクーで発生したアルメニア人襲撃事件()についての告発記事を発表したことにより当局に拘束された〔。そして、その後も幾度となく自宅軟禁に処せられた〔。 1992年に招集された第1期「ナゴルノ・カラバフ共和国」議会に代議員として選出された〔。同年9月には国家防衛委員会議長顧問に任命され、の調停のもと、ナゴルノ・カラバフ戦争停戦交渉のナゴルノ・カラバフ共和国側代表として働いた〔。1993年7月にナゴルノ・カラバフ共和国外務省が創設されると、その初代外務相となった〔。 1997年9月の大統領選挙においては無所属で立候補し、89.31パーセントの投票を得て大統領に選出され、同月8日に就任した。同時にナゴルノ・カラバフ国防軍司令官および国家保安庁長官にも就任し、さらに2002年8月11日の選挙でも、88.95パーセントの得票率で大統領に再選された〔。しかし、同年3月22日には、かねてから対立関係にあった元国防相のが企てた暗殺未遂事件によって負傷した。さらに同年12月には、アゼルバイジャン外相のが、グカシャンを「アゼルバイジャンからの分離独立主義者」として国際手配する考えを明らかにしている。 2006年12月にナゴルノ・カラバフ共和国憲法は改正され、以降の大統領の3選は禁じられた〔。憲法改正以前から大統領であったグカシャンにはこの3選禁止規定は適応されておらず、また3期目を望む国民の声も多かった〔。しかし、グカシャンはナゴルノ・カラバフが民主国家であるという印象を国際社会に持たせるため、次期大統領選挙への出馬を辞退した〔。2007年9月7日、大統領職は国家安全保障局長官であったバコ・サハキャンへと譲られた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アルカジー・グカシャン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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