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アルジス・バドリス(Algis Budrys、1931年1月9日 - 2008年6月9日)はアメリカ合衆国のSF作家、批評家。リトアニア系。フランク・メイスン(Frank Mason)などの別名でも知られる。 ==経歴== バドリスはアルジルダス・ジョナス・バドリス〔『アメリカ鉄仮面』巻末解説(仁賀克雄)における表記〕(Algirdas Jonas Budrys)として東プロイセンのケーニヒスベルクで生まれた。父はリトアニア政府(当時の政府は戦後までアメリカに承認されていたとはいえ、バドリスの生涯を通じてソ連の傀儡政府が力を持ち続けた)の総領事であった。一家は1936年(バドリスが5歳の時)、リトアニア政府によってアメリカに送られた。 バドリスはまずマイアミ大学で、その後ニューヨーク州のコロンビア大学で教育を受けた。最初に活字になった彼のSF作品は''"The High Purpose"''で、「アスタウンディング」誌の1952年に掲載された。1952年、バドリスは編集者としてSF出版社ノーム・プレスやSF誌「ギャラクシー・サイエンス・フィクション」で働き始めた。彼の1950年代のSF作品には、ジョン・A・セントリー(John A. Sentry)名義で発表されたものもある。これは彼のリトアニア名を英語化したものである。他にも変名は複数ある。そのうちの幾つかは彼の雑誌''"Tomorrow Speculative Fiction"''で、小記事の署名として復活した。1950年代のSF雑誌などで使われたものとしては、ウィリアム・スカルフ(William Scarff)が挙げられる。なおジェローム・ビクスビイ(Jerome Bixby)との共同ペンネームとしてアルジャー・ローム(Alger Rome)を使用した。 バドリスが1960年代に書いた中長編『無頼の月』(''Rogue Moon'')はヒューゴー賞の候補となり(受賞はせず)、後にアンソロジー''"The Science Fiction Hall of Fame"''(1973年)に収録された。冷戦を扱った作品『アメリカ鉄仮面』(''Who?'')は1973年に映画化がなされた。バドリスはヒューゴー賞、ネビュラ賞には幾度も候補となりそして落選したが、SF研究協会(Science Fiction Research Association)の2007年度ピルグリム賞(Pilgrim Award)を「生涯を通じたSF研究への寄与」によって受賞している。 バドリスは結婚して4人の息子をもうけ、最期までイリノイ州エヴァンストン(Evanston)で暮らした。彼は悪性黒色腫の転移によって2008年6月9日に死亡した。〔^ Jensen, Trevor. "Tapped human side of science fiction ", chicagotribune.com, 2008-06-11. Retrieved on 2008-06-11.〕 日本では翻訳に恵まれていないが、単行本化されていない『無頼の月』は文学的な名作として、鏡明、殊能将之〔2002年5月13日 - mercysnow official homepage (Internet Archive)〕らから高い評価を受けている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アルジス・バドリス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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