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アルゼンチン共産党(アルゼンチンきょうさんとう、、略称:PCA、以下「共産党」)はアルゼンチンの共産主義政党である。 ==概要== 1918年1月6日に当時のアルゼンチン社会党から分派したビクトリオ・コドビーリャら極左グループによって、前年のロシア革命に連動する形で創設された。 党首(総書記)は1989年よりパトリシオ・エチェガライ(元ブエノスアイレス市議会議員)が務めており「共産主義青年連合会」などを傘下に置く。機関誌としては、週報「我々の提案」の他、冊子「マルクス主義者の手帳」(共にエチェガライ党首自らが監修)などを不定期に出版しているが、いずれの刊行物も現在は党の公式ホームページで電子版の閲覧とダウンロード保存(PDFドキュメント)が可能となっている。中南米・カリブ海地域の社会主義・社会民主主義政党の協力機構である「サンパウロ・フォーラム」に加盟(1990 - )。 結党時以来、ソビエト連邦共産党(アルゼンチン共産党の発足当時はロシア共産党)とは親密な関係にあり、ヨシフ・スターリン政権期も両者の繋がりは不変であった。この事を理由にアルゼンチン国内の他の左翼政党の間では常に非難の対象とされてきたが、1970年代のラテン・アメリカ諸国で頻発したゲリラ闘争には関与していない。 1968年1月、内部の路線対立で共産党を離れた最左グループ(党員4千人規模)が「革命共産党」を結成、以来現在まで党の再統一は実現していない。 急逝した夫フアン・ペロンから大統領職を引き継ぐ(1974年)も、政治家としての才覚は皆無で国民生活を大混乱に陥らせたイサベル・ペロンの政権をクーデター(1976年)で倒した軍部に対しては支持の立場を表明した事もあり、解散命令などによって無力化された他の社会主義政党と異なり、軍事政権発足後も政党としての活動が「表向きは」容認されていたが、軍による直接統治に批判的な国際社会に向けて政治的な寛容性をアピールする為のポーズに過ぎなかったとされ、実際には多くの活動家が抑圧の対象となっている(「汚い戦争」を参照)。 1986年の第16回党大会で若年活動家らを中心に「過去の過ち」に対する自己批判・検証の動きが表面化。民主集中制の放棄を含む党綱領の大幅な見直しへと進んだ。アルゼンチン出身のエルネスト・チェ・ゲバラら武闘革命家の肖像画は撤去され、1987年には活動家マルセロ・フェイトの名誉が回復された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アルゼンチン共産党」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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