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アルタクセルクセス2世 : ミニ英和和英辞書
アルタクセルクセス2世[あるたくせるくせす2せい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 

アルタクセルクセス2世 : ウィキペディア日本語版
アルタクセルクセス2世[あるたくせるくせす2せい]
アルタクセルクセス2世ムネモンラテン文字表記:〕((アルダシール)、古代ペルシア語:、、メディア語:アルタクシャスラ、紀元前430年頃359/358年)はアケメネス朝ペルシア王(在位:紀元前404年‐358年)である。アルタクセルクセスの表記はギリシア語形によるものであり、彼の治世はアケメネス朝の諸王の中では最長である。その治世は戦乱に見舞われたものであったが、デロス同盟などにより傷つけられていた帝国の威信を回復することに成功した。
== 来歴 ==

=== 骨肉の争い ===
生年は不明で、即位前の本名も伝わっていない。プルタルコスの『対比列伝』によれば、即位前の名前はアルサケスであったというが、これは古代ペルシア語人名アルタクシャサの中世パルティア語形アルシャクをギリシア語形にしたもので彼の即位名そのものである。一方コロポンの歴史家ディノンは、本名はオアルセスであったと記している。父はペルシア王ダレイオス2世であるが、アルタクセルクセスが生まれた当時はまだ王に即位していなかった。ダレイオス2世が即位した後、母パリュサティスは弟キュロスを産んだ。キュロス以外にも異母兄弟が多くいたといわれるが、クニドスの歴史家クテシアスは、パリュサティスだけでもダレイオスの子供を13人産んだと伝えている。
プルタルコスによれば、利発で野心家の弟キュロスに対し、アルタクセルクセスはおとなしく穏やかな性格だったという。両親の希望でスタテイラと結婚したが、間もなくスタテイラの兄弟はダレイオス2世の勘気に触れて処刑された。ダレイオス2世はスタテイラをも処刑しようとしたが、アルタクセルクセスは母パリュサティスを説得してスタテイラを救った。紀元前405/404年にダレイオス2世が死の床に就くと、パリュサティスは溺愛する弟のキュロスを後継の王に推し、その根拠としてアルタクセルクセスが生まれた時はまだダレイオス2世は王ではなかったと主張した。しかしダレイオス2世はこの主張を退け、長子のアルタクセルクセスを次代の王に指名し、キュロスはサルディス太守に留められた。紀元前404年にダレイオス2世が死ぬと、アルタクセルクセスはパサルガダエで即位した。これを不満とするキュロスは兄の暗殺を計画するが、ティッサフェルネスの密告で露見した。しかし母パリュサティスによる擁護でキュロスは赦された。
紀元前402年、長らく反乱が続いていたエジプトが王国から離反。さらに翌401年、サルディスにあった弟キュロスはギリシア人傭兵を多数集め、兄を倒し王たらんとして反乱を起こし、さらにペロポネソス戦争でキュロスの支援を受けていたスパルタは反乱への支援を約束した。その年の秋、クナクサの戦いで兄弟は激突し、大王はほとんど敗北しかけたものの、功を焦って突出したキュロスが戦死し、アルタクセルクセス2世の王位は守られた。しかしキュロスが率いていたギリシア傭兵1万はみすみす取り逃がしてしまった(ギリシア傭兵の帰路の記録がクセノフォンの『アナバシス』である)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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