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アルダシール1世 : ミニ英和和英辞書
アルダシール1世[あるだしーる1せい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 

アルダシール1世 : ウィキペディア日本語版
アルダシール1世[あるだしーる1せい]

アルダシール1世Ardashīr, ? - 241年?)は、サーサーン朝ペルシア帝国の初代君主シャーハーン・シャー Šāhān-šāh, 在位:226年 - 240年、生前に譲位)。アルデシール1世とも。サーサーンの孫に当たる。中期ペルシア語ではアルダフシール('lthšyl / Ardaχšīr)と言い、アラビア語近世ペルシア語資料では اردشيرArdashīr と表記された。後世のペルシア語文献では اردشير بابكان Ardashīr-i Bābakān と呼ばれているが、これは中期ペルシア語で「パーパグの(子)アルダフシール」を意味する Ardaχšīr Pāpagān の近世ペルシア語形である。
通常、アルダシール1世が初代君主として扱われるが、サーサーン朝自体はパーパグのエスタフル起義が王朝の始まりと捉え、開祖をパーパグと考えていた可能性が高いことには注意が必要である。
== 独立から建国まで ==

アルダシールの父バーバク(パーパグ、 または )はアルサケス朝パルティア(アルシャク朝とも)に服属していたいわゆるペルシス王国(現ファールス州)の君主で、その版図はファールス地方からケルマーン地方まで跨がり、西隣のエリマイス王国アルメニアを凌ぐアルサケス朝パルティア従属下の勢力としては最大の規模を誇っていた。アッバース朝時代の歴史家タバリーによると、アルダシール自身ファールス地方の主要都市のひとつ(現シーラーズ)の郊外にあったティールーディフで誕生したという。バーバクとその父サーサーン()はアルサケス朝パルティア末期の混乱で次第に勢力を拡大し、ファールス地方の領主の娘と婚姻し、ついで義父の一族を廃して所領を奪取したと伝えられる。やがてパルティア王アルタバヌス4世と対立し、敗死した。
アルダシールはイスタフルのアナーヒター神殿の高位神官であり、バーバク、兄シャープフル(在位222年)の地位を受継ぎ(一説には兄に謀反を起こしてその地位を奪ったという〔
ペルシア語文献、(p.194-198) Zarinkoob, Abdolhossein, Ruzgaran: tarikh-i Iran az aghz ta saqut saltnat Pahlvi, Sukhan, 1999. ISBN 964-6961-11-8〕
)、ファールスの君主となり、周辺のケルマーン、イスファハーン方面まで勢力を延ばした。本拠をイスタフル南方のアルダシール・ファッラフに移して交戦。アルタバヌス4世が他地域での反乱で転戦しているうちに力を蓄える。そして遂に224年にで破って王国の首都クテシフォンを陥落させた。
その後パルティアの西部を次々と併呑し、クルド人とぶつかる。これは「」に記されている。そこにはクルド王マディッグ(Madig)との戦いがパフラヴィー語で記されている。そして226年、ペルシアを中心に唯一の、そして最高位のオリエントの支配者として「エーラーンの諸王の王(シャーハーン・シャー)」という君主号を名乗った。このとき、祖父のサーサーンの名をとって、サーサーン朝と名づけたのである。これによって400年続いたアルサケス朝の時代が終わり、400年続くサーサーン朝の時代の始まりとなる。西部の領土拡張においては226年から233年までローマ帝国との対立、時の皇帝アレクサンデル・セウェルス帝に敗れたことが象徴するようにここまでとなる。しかし東部や北部などにおいては成功を収め、シスターンゴーガンホラーサーンマルジアナバクトラホラズムバハレーンモースルの諸州をサーサーン朝の支配下に置いた。さらにクシャーントゥーラーン・に宗主権を認めさせた。ハトラアルメニア王国アディアバネについてはほとんど効果をあげることは出来なかった。
アルダシール1世の後は、子のシャープール1世が継いだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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