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アルツヴァシェン
アルツヴァシェン(, 「鷲の街」の意)は、アルメニアのゲガルクニク地方に属する村。飛び地であり、周囲は完全にアゼルバイジャンによって囲まれている。面積は約40平方キロメートル。ナゴルノ・カラバフ戦争の結果、1992年以来アゼルバイジャン軍によって占領されている〔Azerbaijan, by Human Rights Watch/Helsinki Org., 1994 〕。アゼルバイジャン語での公式名称は「バシュケンド」()〔〕。今日ではアゼルバイジャン軍がアルメニア人を追い出したため、住民のほとんどがアゼルバイジャン人である〔Azerbaijan Seven Years of Conflict in Nagorno-Karabakh, Christopher Panico, Human Rights Watch, Jemera Rone (1994), p.92〕。アゼルバイジャンは、この村をの一部として統治している。 == 歴史 == 現在の村は1854年に「バシュケンド」()として出身のアルメニア人によって設置された。実際には、1607年にはアルメニア人が住んでいたとの記録が、町のスルブ・ホヴハンネス教会に残っている。後にバシュケンドからの移民が設置した「ノル・バシュケンド」(新バシュケンド)と区別する為に「ヒン・バシュケンド」(旧バシュケンド、)に変更された。 ナゴルノ・カラバフ戦争中の1991年5月、アルメニア内務大臣は、アルツヴァシェンの住民は武装解除によって軍事占領を免れたと報告した〔New York Times, May 10, 1991 ">Soviet Army Is Reported to Attack And Occupy 2 Armenian Villages, New York Times, May 10, 1991 〕。『ニューヨーク・タイムズ』によると、翌年にはアゼルバイジャンが軍事力を以て町を「解放」したと宣言した。アゼルバイジャンは敵の戦車を破壊し、300人のアルメニア人「略奪者」を殺害した。アルメニア側の報告では死者はいないが29人が「跡形も無く消えている」〔New York Times, August 10, 1992 ">Armenia Seeks Help in Fighting Azerbaijan, New York Times, August 10, 1992 〕。アルメニア大統領のレヴォン・テル=ペトロシャンは、「宣戦布告の無い戦争」を起こしたとアゼルバイジャンを非難する電報をCIS指導者に送った。電報では「CISの集団安全保障の参加国に対して侵略が発生した」と述べられている〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アルツヴァシェン」の詳細全文を読む
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