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アルテュセール : ミニ英和和英辞書
アルテュセール[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アルテュセール ( リダイレクト:ルイ・アルチュセール ) : ウィキペディア日本語版
ルイ・アルチュセール[ちょうおん]

ルイ・アルチュセールとして知られる、ルイ・ピエール・アルチュセール(Louis Pierre Althusser、1918年10月16日 - 1990年10月22日)は、フランス哲学者
== 概説 ==

フランス共産党を内部から批判すべく、『マルクスのために』、『資本論を読む』を著し、マルクス研究に科学認識論的な視点(認識論的切断や徴候的読解)を導入した。また、論文「イデオロギーと国家のイデオロギー諸装置」において、呼びかけ=審問(:en:Interpellation (philosophy))による主体形成の理論を提案した。
高等師範学校:fr:École normale supérieure (rue d'Ulm — Paris))の教員として、ミシェル・フーコージャック・デリダバリバールランシエールアラン・バディウミシェル・セールベルナール=アンリ・レヴィら、20世紀中葉以降に活躍する多くの哲学者を育てた。またアルチュセールの影響は、経済学におけるレギュラシオン理論を筆頭に、ニコス・プーランツァス(政治学)やモーリス・ゴドリエ(人類学)、ピエール・ブルデュー(社会学)など社会科学における広範な領域に及んだ。
一方、アルチュセール自身の思想的な経歴は、マルクス主義と構造主義だけで説明しうるものではない。1939年に高等師範学校に合格するも、第二次世界大戦の勃発により兵役召集される。1940年に戦争捕虜となり、シュレスヴィヒの収容所で捕虜生活を体験、戦争終結後に復学する。戦前の耽美的なノン・コンフォーミスト(:fr:Non-conformistes des années 30)に近い立場から〔ヤン=ムーリエ・ブータン『アルチュセール伝』筑摩書房, 1998. 〕、捕虜生活、そして妻エレーヌ・ルゴティアン(対独レジスタンスにおけるフランス共産党の闘士)との出会いを経て、アルチュセールは労働司祭であったモンチュクラール師(:fr:Maurice Montuclard;雑誌『教会の青年』の創設者)などに代表されるカトリック左派的な立場に近づき、最終的にはマルクス主義に転じた。
高等師範学校への復学後、アルチュセールはガストン・バシュラールの指導のもとヘーゲルを研究。バシュラールのもとでの研究が後の認識論的切断を生み出した。
アルチュセールは、エピクロススピノザマキャヴェッリパスカルの読解にも新風を吹き込んだ。
1980年、妻のエレーヌを絞殺。精神病のために責任能力なしとされた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ルイ・アルチュセール」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Louis Althusser 」があります。




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