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ジャン・ニコラ・アルチュール・ランボー(, 1854年10月20日 - 1891年11月10日)は19世紀のフランスの詩人、貿易商人。象徴主義の代表的な詩人である。ランボオとも表記される。主な作品に散文詩集『地獄の季節』『イリュミナシオン』など。 == 生涯 == * 1854年、フランス北東部アルデンヌ県シャルルヴィル(現在のシャルルヴィル=メジエール市)に生まれる。父は陸軍の軍人、母は小さな農地主の長女。ランボーは2人目の子で、2男であった。 * 1870年、家出。普仏戦争下のパリへ辿り着くが、無賃乗車のために逮捕され、家に送り返される。以後、家出を繰り返す。 * 1871年、パリへやって来る。ヴェルレーヌに出会う。以後、共にブリュッセル、ロンドンなどを放浪する。ヴェルレーヌは妻子を捨てての放浪だった。 * 1873年、ヴェルレーヌとの別れ。ヴェルレーヌはランボーに拳銃を2発発砲、うち1発がランボーの左手首に当り、ランボーは入院、ヴェルレーヌは逮捕される。この別れの後に『地獄の季節』を記す。 * 1875年、この年に書いた詩が彼の最後の作品とされる。以後、兵士、翻訳家、商人など様々な職業を転々とし、ヨーロッパから紅海方面を放浪、南アラビアのアデンでフランス商人に雇われ、アビシニア(現在のエチオピア)のハラールに駐在する。 * 1886年、自立して武器商人となったランボーはエチオピアの王侯メネリク(後のエチオピア皇帝メネリク2世)に武器を売り込みに行くが、足元を見られてかえって損を蒙った。しかし、この経験からエチオピア通となったランボーはその後ハラールで商人として比較的成功する。 * 1891年、骨肉腫が悪化してマルセイユへ帰り、右足を切断したが、癌は全身に転移しており死去。臨終は妹のイザベルが看取った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アルチュール・ランボー」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Arthur Rimbaud 」があります。 スポンサード リンク
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