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アルノー・ディ・パスカル : ミニ英和和英辞書
アルノー・ディ・パスカル[ぱすかる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
パスカル : [ぱすかる]
 【名詞】 1. Pascal 2. (n) Pascal

アルノー・ディ・パスカル : ウィキペディア日本語版
アルノー・ディ・パスカル[ぱすかる]

アルノー・ディ・パスカルArnaud Di Pasquale, 1979年2月11日 - )は、フランスの男子プロテニス選手。モロッコカサブランカ生まれ。2000年シドニー五輪で男子シングルスの銅メダルを獲得した選手である。シングルス自己最高ランキングは39位。身長185cm、体重80kg、右利き。
== 来歴 ==
ディ・パスカルは7歳からテニスを始め、12歳の時にカサブランカからフランスへ引っ越した。ジュニア時代には、1997年全米オープン男子ジュニアシングルス部門で優勝がある。1998年にプロ入り。1999年全仏オープンで、ディ・パスカルはアンドレイ・メドベデフウクライナ)との4回戦まで進出した。同年10月にイタリアパレルモ大会の決勝戦でアルベルト・ベラサテギスペイン)を 6-1, 6-3 で破り、ツアー初優勝を果たしたが、結果的にこれがディ・パスカルの唯一のATPツアー優勝になった。
アルノー・ディ・パスカルの選手経歴のハイライトは、2000年シドニー五輪の男子シングルス銅メダル獲得である。この大会で、ディ・パスカルは1回戦でニコラス・キーファードイツ)、3回戦で当年度の全仏オープン準優勝者マグヌス・ノーマンスウェーデン)、準々決勝でフアン・カルロス・フェレーロスペイン)と、格上の選手たちを次々に破って勝ち進んだ。準決勝でロシア代表のエフゲニー・カフェルニコフに 4-6, 4-6 で敗れたディ・パスカルは、準決勝敗退選手2名による「銅メダル決定戦」でスイスロジャー・フェデラーと対戦した。ディ・パスカルは当時19歳のフェデラーと2つのタイブレークを戦い、フェデラーを 7-6, 6-7, 6-3 のスコアで下して銅メダルを獲得した。オリンピック競技としてのテニスが1988年ソウル五輪で復活した後、フランスの選手によるメダルは初めてだったことから、ディ・パスカルは2000年11月にフランス大統領から国民名誉勲章(フランス語:''Orde National du Merite'')を授与された。
その後のディ・パスカルは、2002年全仏オープンで3年ぶり2度目の4回戦進出があったが、ここでは第2シードのマラト・サフィンに 6-3, 4-6, 3-6, 2-6 で敗れた。彼のテニス経歴はあっけなく萎み、2003年3月から1年間の戦線離脱を経験した後、2004年全仏オープン全米オープンで1回戦敗退に終わる。最後の2年間、彼はATPツアーの下部組織の大会を回った。フランスに1924年パリ五輪以来76年ぶりのオリンピック・メダルをもたらしたアルノー・ディ・パスカルは、2006年11月のパラグアイアスンシオン大会を最後に、27歳の若さで現役を退いた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アルノー・ディ・パスカル」の詳細全文を読む




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