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アルノー・ディ・パスカル(Arnaud Di Pasquale, 1979年2月11日 - )は、フランスの男子プロテニス選手。モロッコ・カサブランカ生まれ。2000年のシドニー五輪で男子シングルスの銅メダルを獲得した選手である。シングルス自己最高ランキングは39位。身長185cm、体重80kg、右利き。 == 来歴 == ディ・パスカルは7歳からテニスを始め、12歳の時にカサブランカからフランスへ引っ越した。ジュニア時代には、1997年の全米オープン男子ジュニアシングルス部門で優勝がある。1998年にプロ入り。1999年の全仏オープンで、ディ・パスカルはアンドレイ・メドベデフ(ウクライナ)との4回戦まで進出した。同年10月にイタリア・パレルモ大会の決勝戦でアルベルト・ベラサテギ(スペイン)を 6-1, 6-3 で破り、ツアー初優勝を果たしたが、結果的にこれがディ・パスカルの唯一のATPツアー優勝になった。 アルノー・ディ・パスカルの選手経歴のハイライトは、2000年シドニー五輪の男子シングルス銅メダル獲得である。この大会で、ディ・パスカルは1回戦でニコラス・キーファー(ドイツ)、3回戦で当年度の全仏オープン準優勝者マグヌス・ノーマン(スウェーデン)、準々決勝でフアン・カルロス・フェレーロ(スペイン)と、格上の選手たちを次々に破って勝ち進んだ。準決勝でロシア代表のエフゲニー・カフェルニコフに 4-6, 4-6 で敗れたディ・パスカルは、準決勝敗退選手2名による「銅メダル決定戦」でスイスのロジャー・フェデラーと対戦した。ディ・パスカルは当時19歳のフェデラーと2つのタイブレークを戦い、フェデラーを 7-6, 6-7, 6-3 のスコアで下して銅メダルを獲得した。オリンピック競技としてのテニスが1988年ソウル五輪で復活した後、フランスの選手によるメダルは初めてだったことから、ディ・パスカルは2000年11月にフランス大統領から国民名誉勲章(フランス語:''Orde National du Merite'')を授与された。 その後のディ・パスカルは、2002年全仏オープンで3年ぶり2度目の4回戦進出があったが、ここでは第2シードのマラト・サフィンに 6-3, 4-6, 3-6, 2-6 で敗れた。彼のテニス経歴はあっけなく萎み、2003年3月から1年間の戦線離脱を経験した後、2004年の全仏オープンと全米オープンで1回戦敗退に終わる。最後の2年間、彼はATPツアーの下部組織の大会を回った。フランスに1924年パリ五輪以来76年ぶりのオリンピック・メダルをもたらしたアルノー・ディ・パスカルは、2006年11月のパラグアイ・アスンシオン大会を最後に、27歳の若さで現役を退いた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アルノー・ディ・パスカル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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