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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
アルバート・ジェイムズ・マイアー(英:Albert James Myer、1829年9月20日-1880年8月24日)は、アメリカ陸軍の軍医であり、士官である。南北戦争の直前に最初の信号士官長となり「ウィグ・ワグ」信号(あるいは無線送信術)の発明者となったことで、アメリカ陸軍信号司令部の父として知られ、アメリカ国立気象局の父としても知られている。 == 初期の経歴 == マイアーはニューヨーク州ニューバーグで、ヘンリー・ビークマンとエレノア・マクラナハンのマイアー夫妻の息子として生まれた.〔Texas Handbook 〕。家族はニューヨーク州西部に移転し、1834年に母が死んだ後は主に、バッファローにいた叔母に育てられた。電報手として働いた後、13歳の時にニューヨーク州ジェニーバのジェニーバ大学(現在のホバート・アンド・ウィリアム・スミス大学)に入学した〔Cameron, pp. 1380-81.〕。一時期はニューヨーク州電信会社で働きながら、1851年にはバッファロー医大から医学博士の学位を受けた。その学位論文は「ろうあ者のための新しい手話」であり、それには後に無線電信術で使われることになる概念が入っていた。マイアーはその家族から大きな財産を相続したが、大望があり、知的好奇心が旺盛だった。「かれは特に概念や原理を確立するやり方、それに続いて至る所隈無く探り、それに、あるいはそれから得られるものを発展させるやり方で注目された」と言われた〔Brown, p. 20.〕。 マイアーはフロリダ州で個人医院を開業し、その後アメリカ陸軍の軍医補としての任官を求め、1854年9月18日に入隊すると、テキサス州ダンカン砦および同州ジェフ・デイビス郡デイビス砦で勤務した〔。医学以外に当時の主要な興味は、単純な符号と軽い材料を使って長距離で信号を伝える仕組みを編み出すことだった。この符号伝達の仕組みは、「ウィグ・ワグ」信号、あるいは「無線送信術」と呼ばれる一つの信号旗(夜間はランタンか灯油松明)を使う物であり、南北戦争の南北両軍やその後で採用され使われることになった〔Brown, pp. 20-21.〕。 マイアーの信号伝達は手旗信号と混同されるべきではない。ウィグ・ワグは1つの旗を前後に振って2進数を表すもので、概念的にはモールス信号に似ていた。手旗信号は2本の旗を用い、旗の持ち方で固有の文字を意味させて送るものだった。アメリカ陸軍信号司令部の公式紋章は手旗信号の旗を十字に組み合わせたものとなった。 1858年、陸軍はマイアーの発明に興味を持ち、「信号伝達の原理と計画、戦場における使い方、および軍隊に導入する方法」について調査する委員会を指名した。マイアーはロバート・E・リー中佐が委員長を務める委員会に出頭し、その発明を現場でテストすることを承認させた。マイアーはニューヨーク港周辺でその年4月に始まった現場テストを遂行した。このテストは成功し、アメリカ合衆国陸軍長官ジョン・B・フロイドがアメリカ合衆国議会に対して、陸軍がマイアーの発明を採用すること、ならびにマイアーを信号士官長に指名することを推薦した。議会は、上院でミシシッピ州選出のジェファーソン・デイヴィス上院議員から反対があったものの、マイアーを少佐と信号士官長に指名し、信号司令部を創設することを承認した。マイアーはナバホ族インディアンに対する作戦でさらに現場テストを行うためにニューメキシコ方面軍に派遣された〔。 1857年8月24日、マイアーはバッファローの著名な弁護士の娘、キャサリン・ウォルデンと結婚し、夫妻には6人の子供が生まれた〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アルバート・マイアー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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