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アルフィアス・バブコック : ミニ英和和英辞書
アルフィアス・バブコック
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


アルフィアス・バブコック : ウィキペディア日本語版
アルフィアス・バブコック

アルフィアス・バブコックAlpheus Babcock 1785年 - 1842年)は、19世紀アメリカ合衆国ボストンフィラデルフィアで活躍したピアノと楽器の製造技師。スクエア・ピアノにおいて弦の張力に耐えるために用いられる単一鋳造の鋼鉄フレームに関する特許、そしてスクエア・ピアノの弦の張り方、アクションに関する特許によって知られている。
== 生涯 ==
バブコックはに生まれた。1809年までに楽器職人のベンジャミン・クレホア(1828年没)の下で働いた。兄弟のルイスと共にボストンの、44½に工房と音楽関連の倉庫を構えるが、1812年オルガン製造技師のトーマス・アップルトン(1785年-1872年)との6で合名会社を営むようになる。1814年にルイスがこの世を去り、残った経営陣はチャールズ、エルナ・ヘイトと簡単な協業関係を結び、事業はMackay & Co.に引き継がれた。この時の共同経営者にはクレホアのかつての協力相手だったオルガン制作技師のウィリアム・グッドリッチ(1834年没)が加わっていた。さらに1817年にはジョシュア・スティーヴンズを職工長とするフランクリン・ミュージック・ウォーターハウスに改組され、ジョン・ロウの下、1823年に至るまでミルク・ストリートで事業を継続した。バブコックがこの期間もフィラデルフィアで働いていた可能性もあるが、1822年までにはボストンのマールボロ・ストリート11の裏で働き、翌年にケンブリッジ・ストリートのパークマンズ・マーケットに移っている。マッケイ社は1820年代を通じてバブコックとの提携を続け、多くの楽器に「for G. D. Mackay」、「for R. Mackay」という刻印がなされた〔RipinとKuronenは「G. D. Mackay」は実業家のの甥のジョージ・マッケイ(1824年)、「R. Mackay」が未亡人でジョン・マッケイの母であるルース(1744年-1833年)を指すとしている。しかしHolmanは彼女が1820年に他界し、ジョン・マッケイは彼女の娘のファニーと結婚したと記している。〕。
バブコックはフィラデルフィアので開催された博覧会で1824年〔受賞したのは「最良の水平型ピアノ」、「ボストンのJ.マッケイのために作られた」「低いオクターヴの弦を持ち(中略)平らなワイヤで覆われた」スクエア・ピアノであった。(Spillane, p. 86)〕、1825年1827年に銀メダルを受賞、1825年には彼が特許を取得した一体鋳造鋼鉄フレームへの特別な言及があった。
1830年に再度フィラデルフィアへと移ったバブコックはこの時合衆国最大のピアノ製造者となり、自ら「cross stringing」と呼んだ機構の特許を取り〔「over stringing」とは関係がない。この発明はヒンチ・ピンにおいてより合わせたワイヤに関するものである。〕、ハンマーに弾性の布製カバーを取り入れていた。彼は楽器の製造販売を行うジョン・C・クレムと共同で事業を展開、1832年の終わりまでには142の倉庫で職長として働いていた。1833年のデイリー・クロニクルに掲載の広告で、彼は自らが鋼鉄のピアノフレームに関する製作権を専有していると宣伝している。バブコックは1833年のフランクリン科学博物館の博覧会において、フィラデルフィアのC.F.L.アルブレヒト、ニューヨークのNunns & Co.と並んで栄誉を得ている。
1837年にボストンへ戻ったバブコックは1830年に提携関係を構築していたチッカリング・アンド・マッケイズに雇用された〔バブコックは1839年の自らの特許をジョン・マッケイ、ウィリアム・H・マッケイ、ジョナス・チッカリングへ帰属させている。ジョン・マッケイはジョージ・D・マッケイが1822年に行ったのと同様に、1825年、1828年、1829年版のBoston Directory(商工人名録)にバブコックの住所を提供している。〕。バブコックが行った改良はチッカリングが1850年代アメリカのピアノ製造業を牽引する原動力となっていくのであった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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