翻訳と辞書
Words near each other
・ アルフレッド・フリート
・ アルフレッド・フーシェ
・ アルフレッド・ブライアン
・ アルフレッド・ブライアン (ソングライター)
・ アルフレッド・ブライアン (風刺画家)
・ アルフレッド・ブラウン
・ アルフレッド・ブランドン (市長)
・ アルフレッド・ブリュノー
・ アルフレッド・ブルーム
・ アルフレッド・ブレンデル
アルフレッド・ブレーム
・ アルフレッド・プレソントン
・ アルフレッド・ヘットナー
・ アルフレッド・ヘルツ
・ アルフレッド・ヘンリー・スターティヴァント
・ アルフレッド・ベイツ
・ アルフレッド・ベスター
・ アルフレッド・ペロー
・ アルフレッド・ホーン
・ アルフレッド・マチュー・ジアール


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

アルフレッド・ブレーム : ミニ英和和英辞書
アルフレッド・ブレーム[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アルフレッド・ブレーム ( リダイレクト:アルフレート・ブレーム ) : ウィキペディア日本語版
アルフレート・ブレーム[ちょうおん]

アルフレート・ブレーム (, 1829年2月2日 - 1884年11月11日)はドイツ動物学者、作家。『ブレーム動物事典 (Brehms Tierleben)』の編者として知られる。
== 生涯 ==

アルフレート・ブレームは1829年2月2日テューリンゲンの小さな村で生まれた。父は牧師鳥類学者のクリスティアン・ブレーム(Christian Ludwig Brehm)で、牧師館には9000体を超える鳥の剥製のコレクションがあったという。アルフレートは父親の影響で動物学に興味を持っていたが、子供の頃は建築家を志しており、1844年にはアルテンブルクで建築を学び始めている。
1847年、鳥類学者のヨハン・ヴィルヘルム・フォン・ミュラーのアフリカ探検に書記兼助手として同行、エジプトスーダンシナイ半島を巡るこの旅行に大きな影響を受けた20歳のアルフレートは、帰国後の1853年にイェーナ大学で自然科学の勉強を始める。
大学卒業後、1856年から2年間スペインを旅行した後、ライプツィヒでフリーランスのライターとして『Die Gartenlaube』などの雑誌に一般向け科学記事を書き始める。1862年には、ザクセン=コーブルク=ゴータ家のエルンスト2世に請われてエチオピア旅行に同行している。その後もアフリカスカンジナビアシベリアを旅行し、彼の書いた動物関連の随筆や旅行記は、教養のある中流階級の間で評判となった。このことから、アルフレートはドイツの出版社 Bibliographisches Institut から動物事典の編集者に任命される。この事典が後に世界的に有名になる『ブレーム動物事典』である。
アルフレートは、執筆と研究旅行、講演旅行に生涯を費やした。1862年から1867年の間、ハンブルク動物園の園長を勤め、その後ベルリンで水族館を開館させている。
1878年に妻が死亡。1883年アメリカ講演旅行の直前に4人の子供がジフテリアに罹患、契約を破棄できなかったアルフレートはそのままアメリカに旅立ち、1884年1月に末の息子の死亡の知らせを受けるとることになる。この心痛から、以前アフリカで感染したマラリアが再発、1884年5月にドイツに帰国、7月には故郷の街に戻り1884年11月11日に死亡した。現在、同町にはブレーム記念博物館がある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アルフレート・ブレーム」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Alfred Brehm 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.