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アルフレート・ナウヨックス : ミニ英和和英辞書
アルフレート・ナウヨックス[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アルフレート・ナウヨックス : ウィキペディア日本語版
アルフレート・ナウヨックス[ちょうおん]

アルフレート・ヘルムート・ナウヨックス(Alfred Helmut Naujocks、1911年9月20日 - 1960年4月4日)は、ナチス・ドイツ親衛隊(SS)の隊員。第二次世界大戦開戦の原因となったグライヴィッツ(現在のグリヴィツェ)のラジオ局襲撃の工作をおこなった人物として知られる。親衛隊での最終階級は親衛隊少佐
== 経歴 ==
1911年9月20日、ドイツ帝国の都市ボン市で生まれる。帝政崩壊後、キール工科大学で学び、機械技師となった。1931年にナチス党と親衛隊(SS)に入る。アマチュアボクサーであったため、ナチスの街頭闘争時代の共産党員との殴り合いで活躍した。1934年、一緒に入党した旧知のラインハルト・ハイドリヒに呼ばれてナチス党の諜報機関であるSD(保安諜報部)に入る。以降、ハイドリヒの腹心となって暗殺や盗聴、偽造などの工作活動などに従事した。特に1935年初めにおこなったルドルフ・フォルミス:de:Rudolf Formis)の暗殺や、1937年6月11日にソ連でおきたミハイル・トハチェフスキー元帥粛清事件での暗躍、1939年3月にチェコスロバキアでスロバキア分離主義者のテロに見せかけて起こした爆破工作などでスパイとしての名声をあげた。1939年8月にはハイドリヒからドイツ軍のポーランド侵攻の口実作りのためのヒムラー作戦の指揮を任された。
ナウヨックスは、SSの精鋭で厳選したポーランド軍の制服を着た一分隊を指揮してポーランド国境に近いグライヴィッツのラジオ局を占拠し、「ポーランドの対独開戦の秋が来たれり」と宣言。またポーランド軍服を着せた死体を置き残し、死んだと見せかけて無事姿をくらます。この事件を口実にドイツ軍はポーランドへ侵攻を開始し、第二次大戦がはじまることとなる。
さらに1939年11月にはオランダのフェンローで活動していたイギリス諜報員ペイン・ベスト大尉(Payne Best)とリチャード・スティーブンス少佐(Richard Stevens)の拉致に成功する。偽ポンド作戦などにも作画したが、その後、ハイドリヒの命令の1つに異論を唱えたために「不服従」としてSDから解任され、1943年から武装SSに加入させられて東部戦線へと送られた。
その翌年にはデンマーク駐留部隊に転じて経済管理の職につくが、これは名目で実際にはオランダのレジスタンス活動家暗殺に従事していた。1944年11月米軍に投降したが、裁判が近づくとその監禁から逃れた。戦後、SSの逃亡ルート「オデッサ」にオットー・スコルツェニーとともに関与していたといわれる。スコルツェニーがスペイン政府と契約してナウヨックスとその同志達がラテンアメリカへ向かうナチス戦犯の世話をしていたらしい。晩年はハンブルクでビジネスに精を出した。1960年4月4日ハンブルクで裁判にかけられることなく死去した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アルフレート・ナウヨックス」の詳細全文を読む




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