翻訳と辞書
Words near each other
・ アルベルト・アルバシーノ
・ アルベルト・イグレシアス
・ アルベルト・ウェーバー
・ アルベルト・ウンディアノ・マジェンコ
・ アルベルト・ウンディアーノ
・ アルベルト・ウンディアーノ・マジェンコ
・ アルベルト・エボッセ・ボジョンゴ
・ アルベルト・エレーデ
・ アルベルト・カイプ
・ アルベルト・カウプ
アルベルト・カジミール・フォン・ザクセン=テシェン
・ アルベルト・カスタニェッティ
・ アルベルト・カスティーヨ
・ アルベルト・カスティーヨ (捕手)
・ アルベルト・カヤスポ
・ アルベルト・カラスポ
・ アルベルト・カルデロン
・ アルベルト・カルメット
・ アルベルト・ガルシア・アスペ
・ アルベルト・ギュンター


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

アルベルト・カジミール・フォン・ザクセン=テシェン : ミニ英和和英辞書
アルベルト・カジミール・フォン・ザクセン=テシェン[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アルベルト・カジミール・フォン・ザクセン=テシェン : ウィキペディア日本語版
アルベルト・カジミール・フォン・ザクセン=テシェン[ちょうおん]

アルベルト・カジミール・フォン・ザクセン=テシェン(Albert Kasimir von Sachsen-Teschen, 1738年7月11日 - 1822年2月10日)は、ドイツオーストリアの美術品の収集家、保護者。ウィーンの美術館アルベルティーナの創始者として知られる。また、オーストリア領ネーデルラントの総督も務めた(1780年 - 1793年)。全名はアルベルト・カジミール・アウグスト・イグナツ・ピウス・フランツ・クサーヴァー(Albert Kasimir August Ignaz Pius Franz Xaver)。
父はポーランド王(兼ザクセン選帝侯アウグスト3世、母は神聖ローマ皇帝ヨーゼフ1世の娘マリア・ヨーゼファで、2人の間の六男として生まれる。何人もの兄がいて家督の相続は望めない身分だったが、オーストリアの「女帝」マリア・テレジア(母の従妹にあたる)の娘マリア・クリスティーナと恋仲になり、結婚を許された。マリア・クリスティーナが女帝のお気に入りの娘であったことから、莫大な持参金とテシェン(チェシン)公国を得た上に、カール・アレクサンダー公子(女帝の夫フランツ1世皇帝の弟)の死後にオーストリア領ネーデルラントを夫婦で統治する取り決めもなされた。
子がなかったため、妻の弟レオポルト2世皇帝の三男カールを養子とし、ネーデルラント総督職とテシェン公領を継がせた。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アルベルト・カジミール・フォン・ザクセン=テシェン」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.