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アルミン・コグラー : ミニ英和和英辞書
アルミン・コグラー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アルミン・コグラー : ウィキペディア日本語版
アルミン・コグラー[ちょうおん]


アルミン・コグラー(Armin Kogler、1959年9月4日 - )はオーストリアチロル州シュヴァーツ出身の元スキージャンプ選手。

== プロフィール ==
1979年スキーフライング世界選手権ユーゴスラビア、プラニツァ)で優勝して頭角を現した。
翌1979-1980シーズンの第一回スキージャンプ・ワールドカップで5勝をあげ、同僚のフーベルト・ノイパーに次ぐ総合2位になった。
レークプラシッドオリンピックでは90m級5位、70m級で12位となった。
1980-1981シーズンはジャンプ週間で自己最高の総合2位、フライング選手権2位、またワールドカップでは3勝、表彰台12回で総合優勝を達成した。
1981-1982シーズンはオスロでの世界選手権で70m級個人金メダル、団体銀メダル、90m級個人で銅メダルを獲得し、ワールドカップでも総合2連覇を果たした。
1984年サラエボオリンピックでは70m級52位、90m級6位。
1985年、地元オーストリアで開催された世界選手権では団体銀メダルを獲得した。同年札幌での90m級で5位になったのがワールドカップでの最後である。
ワールドカップ通算13勝(2位12回3位12回)。
1979年と1981年、1982年の3回オーストリアスポーツマンオブザイヤーを受賞、1984年にはホルメンコーレン・メダルを受賞した。
コグラーは1989年からチロリアン航空のパイロットとして働くとともにオーストリア放送協会(ORF)のスポーツコメンテーターとして活動。2007年2月には精巣腫瘍を患ったが翌シーズンからコメンテーターに復帰した。
マルティン・コッホは甥にあたる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アルミン・コグラー」の詳細全文を読む




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