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ルートヴィヒ・アルムブルスター(Ludvík Armbruster、1928年5月16日 - )は、オーストリア国籍を持つチェコ人のカトリック(イエズス会)司祭、哲学者。プラハ生まれ。プラハ・カレル大学神学部名誉教授、上智大学名誉教授。 ==経歴== 1928年、プラハで祖父がオーストリアの出自を持つ家系に生まれた。1934~1939年、プラハのヌスレ(:cs:Nusle)地区の改革的小学校で学ぶ。1939~1947年、プラハのヴィシェフラット地区の国立総合高等学校で学び、卒業後にイエズス会、チェコ分会に入会する。チェコの巡礼地でもあるヴェレフラット(:cs:Velehrad)で2年間進学準備をした後、ジェチーン市のイエズス会哲学・社会学学校で哲学を学んだ。1950年、チェコの州のイエズス会士は宗教上の理由によりボホスドフ(:cs:Bohosudov)に強制送還され抑留される。しかしアルムブルスターは、オーストリアの出自であったために、抑留を解かれて出国が認められた(強制された)。 1952年、ローマのグレゴリアン大学哲学科を卒業する。ローマでアルムブルスターに、日本での伝道が告げられる。来日して横須賀市で日本語を2年間勉強した後、上智大学で哲学を学び、ヨハネス・ジーメスに師事する。その後4年間ドイツのフランクフルトにあるザンクト・ゲオルゲン哲学・神学大学(Philosophisch-Theologische Hochschule Sankt Georgen) で学び、1960年、ヤスパースに関する研究で神学博士。1959年に叙階し、司祭となる。 1961年に再び来日した。1962年4月から上智大学文学部哲学科講師となり、助教授を経て1969年から1999年まで教授を務めた。カントからヘーゲルまでのさまざまなテキストを使用して、ドイツ観念論を詳細な哲学史的背景とともに教授した。弟子に東京大学教授山脇直司、上智大学教授大橋容一郎、広島市立大学准教授柿木伸之らがいる。1975~1983年、上智大学図書館長を任命され、1984年に開館した上智大学中央図書館の建築に尽力した。1965~1970年、東京神学校の校長。1989年からチェコのイエズス会と神学大学の復興に尽力し、定期的にチェコを訪問した。 1999年にチェコの故郷へ帰国し、2003~2010年、プラハ・カレル大学神学部学部長を務める。現在、プラハ聖イグナチオ教会司祭。 2006年、上智大学での大学図書館建築への貢献に対する建築部門、および日本とオーストリア、チェコの交流への貢献に対してオーストリアの科学・芸術名誉十字章勲一等を叙勲。2008年10月28日、チェコ大統領ヴァーツラフ・クラウスにより、教育分野のチェコ国家功労勲章を叙勲。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ルートヴィヒ・アルムブルスター」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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