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アルメニア人のディアスポラは、欧米ではユダヤ人と並ぶディアスポラの代表格として認知されている〔吉村 (2010) 75頁〕。2007年の調べでは、全世界には758万人のアルメニア人が存在するとされるが、アルメニア本国に暮らすものは297万人と、全体の4割程度である。 アルメニア語では、こうした離散状態をスピュルク(sp'yurk' / 元来は花が散る様子を表す言葉。伝統的正書法 (en) では 、改革正書法 (en) では と綴られる)と呼ぶ〔吉村 (2010) 98頁〕。また、古くにはアルメニア高原の外に形成されたアルメニア人コミュニティはガグト と呼ばれたが、これはを指すヘブライ語の「ガルート」 をシリア語から借用したものである。 アルメニア人のディアスポラは、盛んな商活動や大量虐殺の歴史などで、ユダヤ人のディアスポラと共通点を持っている〔。しかし、アルメニア人のヨーロッパへの進出が近代まで盛んでなく、またその信仰もキリスト教であることから、アルメニア人はユダヤ人よりも好意的に欧米社会へ受け入れられている〔。 == 歴史 == === 中近世 === アルメニア人が故地の外部に共同体を形成するようになったのは、1045年に古代アルメニア王国が東ローマ帝国によって滅ぼされたことがその端緒である〔吉村 (2010) 76-77頁〕。この頃に始まった、旧アルメニア王国領域からのバルカン半島と地中海沿岸への移住は、数世紀をかけて、イタリアそしてオランダにアルメニア人のコミュニティを形成していった〔。続く1375年のキリキア・アルメニア王国滅亡や地中海貿易の拡大により、地中海沿岸のヴェネツィア、イスタンブル、カイロなどがアルメニア人の商業コミュニティとして発達した〔。 西方のアルメニア人たちが海上貿易で栄える一方、東方のアルメニア人たちはシルクロードを介した陸上貿易の重要な担い手となった〔浅田 (1990) 183頁〕。異教徒に寛容であったサファヴィー朝のもと、アルメニア人たちは17世紀を通じてエスファハーンを中心にインド洋へと東進していった〔浅田 (1990) 186頁〕。後にイギリスがムガル帝国へ進出するようになると、アルメニア人たちもそれに従ってムンバイ、マドラス、コルカタやマレーシアにまで商業拠点を築いた〔。初期に西方へ移住したアルメニア人たちは、やがて現地に同化して消滅していった〔浅田 (1990) 192頁〕。しかし東方のアルメニア人たちは、独自性を維持した商活動を、異文化の中にあって第一次世界大戦頃まで続けた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アルメニア人のディアスポラ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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