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アルメニア属州()は、ローマ帝国の属州である。領域は、現在のトルコ、アルメニア、グルジア、アゼルバイジャンの一部である。 属州は114年から118年までの短い期間存在した。 == 歴史 == === 第5回パルティア戦争と属州の成立 === パルティアのオスロエス1世が、ローマ帝国との緩衝地帯であるアルメニア王国に傀儡君主パルタマシリスを立てると、ローマ帝国皇帝トラヤヌスはこれを自身の即位15周年記念祭への侮辱行為とした〔Bennett, ''Trajan'', p.184.〕。ローマ帝国はアルメニアを東方属州における陸路貿易・海路貿易を独占する上で重要な戦略拠点と考えており〔Christol & Nony, ''Rome'', p.171.〕、一部の歴史学者は、戦争の根本的原因はアルメニアを巡る権益争いであったと推測している。歴史家カッシウス・ディオはさらなる名声の獲得を目的とした個人的野心によるものであったと主張している〔Quoted by Bennett, ''Trajan'', p.188.〕が、そのような見方は主流ではない〔Finley, ''Ancient Economy'', p.158.〕。現代では、東方属州北部におけるパルティアの影響力拡大を、とりあえずは防ぎたいという程度の遠征であったろうと見なされている〔Luttwak, ''Grand Strategy'', p.108.〕。 113年中にハドリアヌスによってアンティオキアで編成された遠征軍3個軍団(第3軍団ガリカ、第3軍団キュレナイカ、)は、114年の春を待って進軍を開始する〔Bennett, ''Trajan'', p.192.〕。道中、経由した駐屯地の軍団と合流し、第4軍団スキュティカ、第6軍団フェラタ、、が戦列に加わった。さらに、アルメニアとの国境にある都市では、ドナウ川方面の9個軍団から送られた分遣隊も到着〔第1軍団アディウトリクス、第1軍団イタリカ、第2軍団トライヤナ・フォルティス、第5軍団マケドニカ、第7軍団クラウディア、第11軍団クラウディア、第12軍団プリミゲニカ、第15軍団アポリナリス、第30軍団ウルピア・ウィクトリクス。Bennett, ''Trajan'', p.192.〕。計17個軍団、総兵力約8万の軍容となった〔Bennett, ''Trajan'', p.193.〕。 遠征軍は大きな問題もなくアルメニア領内に進入し、トラヤヌスは同国西部の都市エレゲイアにてパルタマシリスの退位とともに「アルメニア属州」の樹立を宣言した〔Bennett, ''Trajan'', p.194.〕。パルタマシリスがローマへの護送中に暗殺される一方、トラヤヌスはアルメニア全土の制圧を指示。114年末までに各地の要衝が押さえられ、ローマ帝国の支配下に入った。並行して黒海近辺の諸勢力との交渉や調整も行われた〔Bennett, ''Trajan'', pp.194-195.〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アルメニア属州」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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