|
アル・シモンズ(Aloysius Harry "Al" Simmons, 1902年5月22日 - 1956年5月26日)は、アメリカ合衆国ウィスコンシン州出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。愛称は「Bucketfoot Al」(バケットフット・アル)。 == 経歴 == ポーランド系移民の一家に、アル・シマンスキ(Al Szymanski)として生まれる。1923年にフィラデルフィア・アスレチックスと契約し、その際に登録名をアル・シモンズとした。オープンスタンスから上げた左足を三塁方向へ下ろす独特のバッティングフォームが、まるでバケツに足を突っ込んでいるように見えたため、「バケットフット」の愛称がついた。 1924年にメジャーデビューし、いきなり打率3割、100打点を記録。1925年は当時歴代2位の253安打を放って打率.387、24本塁打、129打点。MVPの投票でロジャー・ペキンポーに次ぐ2位に食い込んだ。1929年からチームが3年連続リーグ優勝、2年連続ワールドシリーズ制覇(1931年はセントルイス・カージナルスに敗退)した際は3番ジミー・フォックスの後の4番に座り、1929年に打点王、1930年、1931年は2年連続首位打者を獲得した。1931年はシーズン開幕まで契約問題でチームと揉めていたが、開幕日に大恐慌の当時としては破格の3年10万ドルで契約した。ちなみに当日の開幕試合では本拠地シャイブ・パークの屋根を直撃する特大のホームランを放っている。 1932年オフにチームの資金難からシカゴ・ホワイトソックスに放出。1933年に初開催されたオールスターでは、ファン投票によって最多得票。その後古巣アスレチックスを含めいくつかのチームを転々とした後、1944年42歳で引退した。通算打率.334は20世紀以降の右打者としては歴代5位であり、1925年 - 1934年の10年間は打撃3部門でいずれもリーグ10位以内を記録。当時のアスレチックス監督コニー・マックの大のお気に入り選手だった。マックはシモンズの移籍後も監督室にシモンズの写真を飾っていたという。 1953年アメリカ野球殿堂入り。1956年5月26日、故郷ウィスコンシン州にて死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アル・シモンズ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|