翻訳と辞書
Words near each other
・ アル・ナフダ
・ アル・ナフダ・クラブ
・ アル・ナフダ・ブライミ
・ アル・ナーヤン・スタジアム
・ アル・ネジメSC
・ アル・ハカム
・ アル・ハサカ
・ アル・ハサン・アル・ヤミ
・ アル・ハゼン
・ アル・ハッジ
アル・ハッターブ
・ アル・ハマザーニー
・ アル・ハマダニア・スタジアム
・ アル・ハマダーニー
・ アル・ハムラ・タワー
・ アル・ハヤト
・ アル・ハヤート
・ アル・ハラム・モスク
・ アル・ハラーム・モスク
・ アル・ハリケーン


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

アル・ハッターブ : ミニ英和和英辞書
アル・ハッターブ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アル・ハッターブ ( リダイレクト:アミール・ハッターブ ) : ウィキペディア日本語版
アミール・ハッターブ[ちょうおん]
アミール・ハッターブことイブン・アル=ハッターブ(Ibn Al-Khattab、1969年4月14日 - 2002年3月20日)は、チェチェン独立派テロリストであり、チェチェン東部地区の野戦指揮官であった。ヨルダン国籍。本名はサミール・サレフ・アブドゥッラー・アル=スワイレム(Samir Saleh Abdullah Al-Suwailem)。
アンマンの裕福なアラブ人の家庭に生まれた。母はチェルケス人。アンマンの士官学校で学び、フセイン国王チェルケス親衛隊に勤務。その後、16歳で出国し、アフガニスタンタジキスタン、チェチェンで戦った。彼自身によれば、アフガニスタンでウサーマ・ビン=ラーディンに会ったが、その後音信は途絶えたという。
第一次チェチェン紛争後、セルジェン・ユルト村周辺に、戦闘員訓練キャンプを創設した。
1996年4月16日、ヤルイシュマルドゥイとダチュボルゾイ間の山道(シャトイ地区)において、待ち伏せにより、第245自動車化狙撃連隊の縦隊を撃滅した。連邦側は、戦死者95人(将校26人)と負傷者54人を出した。待ち伏せからは、13人しか逃れられなかった。
1997年12月22日、ブイナクスクにおいて、第136自動車化狙撃旅団に対して攻撃を実行したが、チェチェンへの退却の際、負傷した。
1998年シャミル・バサエフと共にイスラム国際戦線を結成。翌1999年ダゲスタン共和国に侵攻し、近辺の村を占拠。これがきっかけとなり、第二次チェチェン紛争が勃発した。
2002年3月20日FSBのエージェントが手渡した毒入りの手紙により暗殺された。
== パーソナル ==

ワッハーブ派のイスラム教徒。ダゲスタンのカラマヒ村(ブイナクスク地区)出身のダルギン人女性と結婚。1998年生まれの娘を有する。右手首を負傷したため、左手で筆記、射撃を行っていた。アラブ語チェチェン語ダルギン語ファルシー語及びロシア語を話した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アミール・ハッターブ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Ibn al-Khattab 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.