翻訳と辞書
Words near each other
・ アル・ハーフィズ・ハムザ
・ アル・バスタキヤ
・ アル・バスタキヤ (ドバイ)
・ アル・バスティキヤ
・ アル・バッターニ
・ アル・バッターニー
・ アル・バティーン・エグゼクティブ空港
・ アル・バンドレイ
・ アル・バンブリー
・ アル・バーチン軍事都市
アル・バーリック
・ アル・パシーノ
・ アル・パチーノ
・ アル・ヒジュル
・ アル・ヒジュル (クルアーン)
・ アル・ヒジュルの考古遺跡
・ アル・ヒッドSCC
・ アル・ヒラル
・ アル・ヒラルの選手一覧
・ アル・ヒラール


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

アル・バーリック : ミニ英和和英辞書
アル・バーリック[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アル・バーリック : ウィキペディア日本語版
アル・バーリック[ちょうおん]
アル・バーリックAlbert Joseph Barlick1915年4月2日 - 1995年12月27日)は、1940~1960年代のアメリカメジャーリーグ審判員イリノイ州スプリングフィールド生まれ。1989年アメリカ野球殿堂入りを果たした。ゲームの統率力に優れ、『審判の中の審判』と呼ばれた人物。
== 経歴・人物 ==
審判としてメジャーリーグに関わる前はイリノイ州で炭鉱夫をしていた。1940年に史上最年少の25歳の若さでメジャーリーグに昇格する。よく通る声と判り易いジェスチャー、抗議に対する毅然とした態度がバーリックの特徴で、選手からの尊敬も高かった。まだ20代だった1942年に早くもオールスターゲームで二塁塁審を務め、以後通算7度オールスターゲームに出場している(歴代最多)。
1944年と1945年は第二次世界大戦に従軍し、沿岸警備隊に所属していた。1946年に復職した後はナショナルリーグでは1971年まで審判職を務めた。在職期間は述べ31年になる。他にも、審判員組合の活動を積極的に行い、待遇改善と技術の向上にも努めていたという。なお1968年には、日米野球のためセントルイス・カージナルスに同行し来日も果たしている。
審判職引退後は、22年の間ナショナルリーグの顧問を務めていた。1995年に心臓発作のため生まれ故郷のイリノイ州で死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アル・バーリック」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.