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アル・ボラト(、、? - ?〔『蒙古源流』ではダヤン・ハーンの諸子の中で唯一アル・ボラトのみ生年を記していない(岡田2004,239頁)〕)とは、モンゴルの大ハーンであるバト・モンケ(ダヤン・ハーン)の子供の一人。アル=ボーラ()とも表記され、漢文史料においては「那力不刺台吉」と記された〔吉田1998,233頁〕。 == 概要 == ダヤン・ハーンとその正妻マンドフイ・ハトンの間の末子として生まれた。モンゴル語年代記ではアル・ボラトの兄たちは皆双子で生まれたとされるが、アル・ボラトのみは一人で生まれたと記されている。 アル・ボラトがダヤン・ハーンより分封された部族については史料間で異同があり、ホーチト部とするもの(『蒙古源流』)、チャガン・タタルとするもの(『アルタン・トプチ』)、アスト部等とするもの(『恒河の流れ』ほか)がある。しかし、漢文史料の記載などから、アスト(とヨンシエブ)を相続したとする説が有力である〔森川1976,140-142頁〕。 アル・ボラトにはアジュとシラという息子たちがいたが、この二名が殺し合ったため、「アストとヨンシエブ」は没収されてしまったという。アストとヨンシエブは改めてバルス・ボラト(ダヤン・ハーンの三男)の息子ボディダラが領有することとなり、アル・ボラトの家系の手を離れた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アル・ボラト」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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