翻訳と辞書
Words near each other
・ アル・ホルバート
・ アル・ホーフォード
・ アル・ホール
・ アル・ホール (曖昧さ回避)
・ アル・ホールSC
・ アル・ボックマン
・ アル・ボラト
・ アル・マイケルズ
・ アル・マクトゥーム・スタジアム
・ アル・マシューズ
アル・マスウーディー
・ アル・マズノウ
・ アル・マッコイ
・ アル・マディナ級フリゲート
・ アル・マディーナ級フリゲート
・ アル・マドリル
・ アル・マナマ級コルベット
・ アル・マリク・アル・ザーヒル
・ アル・マルティーノ
・ アル・マーズ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

アル・マスウーディー : ミニ英和和英辞書
アル・マスウーディー[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アル・マスウーディー ( リダイレクト:マスウーディー ) : ウィキペディア日本語版
マスウーディー[ちょうおん]
マスウーディー( المسعودي al-Masʿūdī, Abū al-Ḥasan ʿAlī ibn al-Ḥusayn ibn ʿAlī al-Masʿūdī) は、アラブ人歴史家、地理学者でアラブのヘロドトスとして知られている。西暦896年バグダード生まれ、956年9月カイロにて死去。
預言者ムハンマドの教友(サハーバ)であったアブドゥッラーフ・イブン・マスウードの子孫。915年頃から末年近くまで各地を旅行してまわった。訪問した場所はペルシアアルメニアアゼルバイジャンカスピ海周辺、アラビアシリアエジプトインダス川インドの西海岸方面、東アフリカ方面など多方面にわたり、インド洋紅海カスピ海地中海なども航海したと考えられている。更に中国スリランカなども訪問先に含まれているとする見方もある。晩年はシリアとエジプトに住んだ。旅行をどのように実現したのかは不明であり、マスウーディーが十二イマーム派シーア派だったことから、10世紀のシーア派の拡大と関連している可能性も推測されるが、証拠は何もない。実際のところは、貿易業者と一緒だったか、彼自身が貿易に従事していたという推定がされている。
==旅歴==

実際に各地に赴いて情報を収集した点が、同時代の歴史家と大きく異なる彼独自の特徴である。
#915年頃から917年 イラン(ニーシャプール、イスタフルなど)、シンド、西デカン
#917年 イラクに戻る。
#919年頃 イエメンオマーン(この時ペルシア湾のシーラーフ出身の商人アブー・ザイド・アル=シーラーフィーから中国の情報を得た)
#920年頃 バスラに滞在し、Abu Khalifa al-Jumahiの元で学ぶ
#921年 シリアビザンツとイスラームの境界付近で情報収集、イスラームに改宗したビザンツ官僚トリポリのレオと会う
#926年 パレスチナ(エルサレム、ナザレ)にてユダヤ人のトーラー学者Abu Kathir Yahya ibn Zakariyaの元で過ごす
#927年頃 パルミララッカハッラーン(アブラハム誕生地で、マームーン治下の翻訳事業に携わったギリシア科学の翻訳者の供給地のひとつで、アレキサンドリアの医学者が、ウマイヤ朝のウマル2世によって移住させられた地といわれている)
#930年代 カスピ海沿岸(コーカサスハザールスラブブルガールに関する情報収集)
#その後、エジプトとシリアに居住

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マスウーディー」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Al-Masudi 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.