|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 王 : [おう] 1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) ・ 王立 : [おうりつ] 【名詞】 1. royal ・ 製 : [せい] 1. (n,n-suf) -made 2. make ・ 製塩 : [せいえん] (n,vs) salt making ・ 所 : [ところ, どころ] (suf) place
アル=ケ=スナンの王立製塩所は、フランス東部のドゥー県アル=ケ=スナン(アルク=エ=スナン)市にある旧製塩所で、創造力豊かな建築家クロード・ニコラ・ルドゥが都市計画まで視野に入れて手がけた建築物。この製塩所はサラン=レ=バンやロン=ル=ソーニエの旧式の製塩所に取って代わるものだった。 理想の工業都市を追求する形で円形の都市が計画されていたにもかかわらず、半円状で工事は中断された。しかし、その計画性は当時の都市計画を偲ばせるものと評価され、ユネスコの世界遺産に登録された。製塩所としての操業は19世紀末で停止しており、現在は博物館や資料館として公開されている。 == 18世紀の歴史的背景 == 当時、食塩は肉や魚などの保存に用いられていたため、相対的に需要の高い食品であった。ガベル(塩税)という塩の消費に応じた税金がかけられており、徴税請負事務局 (ferme générale) に徴収されていた。フランシュ=コンテには地下に岩塩の鉱脈があり、相対的に富裕だった。この地方には、塩用の井戸が多くあり、取り出した塩水をボイラーで沸騰させて塩を精製していた。そのボイラーを焚くために薪が必要とされ、近隣の森林から切り出されていた。当時、サラン=レ=バンやモンモロには多くの井戸やボイラーがあったが、薪の伐採が続いた結果、近隣の森林資源は乏しいものとなっていった。その結果、燃料はどんどん遠くから調達しなければならなくなり、コストが高くなっていった。さらに時が経つと、塩水濃度の低下にも見舞われた。一定期間、王属の専門家たちは « petites eaux » を使うことを研究していたが、1773年4月の御前会議 (le conseil du Roi) で取りやめることが決議された〔Jean-François Bergier, ''L'étonnante histoire des salines royales d'Arc-et-Senans'', dans « Une histoire du sel », Office du livre, Fribourg, 1985, ISBN 2130378218〕。また、サラン=レ=バンの谷あいに鹹水製造所 (bâtiment de graduation) を建てることも不可能になった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アル=ケ=スナンの王立製塩所」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|