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アル=マリク・アル=ザーヒル : ミニ英和和英辞書
アル=マリク・アル=ザーヒル[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アル=マリク・アル=ザーヒル : ウィキペディア日本語版
アル=マリク・アル=ザーヒル[ちょうおん]

アル=マリク・アル=ザーヒルアラビア語: الملك الظاهر Al-Malik Al-Ẓāhir、? - 1216年)は、アイユーブ朝時代の人物でアレッポの領主。アイユーブ朝の始祖サラーフッディーン(サラディン)の3男。第2代スルタン・アル=アジーズの弟。叔父アル=アーディルの娘ダイファを妃とし、その間に生まれたアル=アジーズがアレッポ領主を継いだ〔A.ジョティンスキー 『十字軍の歴史』 刀水書房、2013年、p.436〕。
イスラム思想家イブン・アラビーIbn Arabi )と親交があり、また同じく照明学派Illuminationist philosophy )の思想家スフラワルディーSuhrawardi )を保護していたが、父がスフラワルディーを異端として処刑したために親子仲が悪化した。
1193年、父が死去するとその遺領は他の兄弟たちによって分割相続されることとなり、アフダルはアレッポを相続した。しかしその後一族は内紛を繰り返し、ザーヒルも自立を図るようになる。子孫はアイユーブ朝の滅亡後も衰退しながらも存続を続けて新しく成立したマムルーク朝と争ったが、孫の代にフレグ率いるモンゴル軍の攻撃を受けて、一族は処刑されて滅亡した(1260年)。
== 出典 ==



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アル=マリク・アル=ザーヒル」の詳細全文を読む




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