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アレキサンダー・カルダー : ミニ英和和英辞書
アレキサンダー・カルダー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アレキサンダー・カルダー ( リダイレクト:アレクサンダー・カルダー ) : ウィキペディア日本語版
アレクサンダー・カルダー[ちょうおん]

アレクサンダー・カルダー(、1898年7月22日 - 1976年11月11日アレクサンダー・コールダーとも)は、アメリカ合衆国彫刻家・現代美術家。動く彫刻モビール」の発明と制作で知られている。モビールやスタビルと呼ばれる抽象彫刻のほか、絵画リトグラフタペストリージュエリー玩具などさまざまな分野で創作活動を展開した。
== 概要 ==

カルダーは代々高名な彫刻家であった家系に生まれたが、若い頃は職人を志向して機械工学の勉強をしてエンジニアとなった。芸術家の道に転向してからは素描(ドローイング)を学び、第一次世界大戦後のパリに出てからは得意の一筆書きを生かした針金彫刻を始め、金属を使った抽象彫刻を制作した。この頃彼は発明の才を生かし、機知やユーモアにとんだ針金作品を使って、一人で操るサーカスの上演を自室で始めたが、そのパフォーマンスが評判となったことで芸術界の有名人になり、パリに集まっていた多くの前衛芸術家たちと知り合い大きな刺激を受けた。特にモンドリアン三原色による幾何学的な抽象絵画に強い影響を受けた彼は、すぐに限られた原色だけによる動く抽象彫刻作品・モビールの制作を開始した。(モビールの命名は、サーカス上演を通じて知り合ったマルセル・デュシャンによる。)
彼の生涯の制作活動の中で特に重要なできことは、モビールの発明により彫刻作品に実際の「動き」を取り入れたことである。モビールの各部分は動かないときでも微妙なバランスを保って浮かび、動きへの予感をはらんだ緊張感をもたらし、かと思うと不規則に動き相互に影響し合い、その形状はさまざまに変化して同じ姿になることはない。これは「キネティック・アート」と呼ばれる動く美術作品群のさきがけとなった。
彼は床に置くスタンディング・モビールや天井から吊るすハンギング・モビールの制作と平行して、友人ジャン・アルプによって「スタビル」と名づけられた原色の金属板の立体構成による作品も制作する。第二次世界大戦後はアメリカとフランスを往復しながら制作を続け、ついには市街地に置く大型のパブリック・アートも手がけるようになる。それと平行して友人や家族向けの小さなジュエリーの制作や、タペストリーなどのテキスタイル作品のデザイン、航空機の塗装デザインなどにも範囲を広げ、また平和運動などの活動も行った。彼の死後もモビールは身近なものとして今日まで親しまれ、彼の作ったスタビルは世界中の広場にそびえている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アレクサンダー・カルダー」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Alexander Calder 」があります。




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