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アッレキナ・テルトゥッラ () は1世紀ローマ帝国の女性。後にローマ皇帝となるティトゥスの最初の妻。 生家の家系ははっきりしていないが、エクィテス(騎士階級)に属していた。父親のマルクス・アレキヌス・クレメンスは、カリグラ帝治世の38年に栄光あるプラエフェクトゥス・プラエトリオ(近衛隊長官)を務めている。母親はおそらくユリアという名前であった。兄弟には父と同名のマルクス・アッレキヌス・クレメンス (:en:Marcus Arrecinus Clemens (prefect 70)) がいた。彼もまた、ウェスパシアヌス帝治世の70年にプラエフェクトゥス・プラエトリオを務めている。 彼女のコグノーメンの「テルトゥッラ」は、ラテン語で「三女」を意味する「テルティア (Tertia) 」というコグノーメンの女性につけられるあだ名である。同じくテルトゥッラと呼ばれたローマ女性に、共和政時代のマルクス・ユニウス・ブルトゥスの半妹であるユリア・テルティア (:en:Junia Tertia) がいる。ウェスパシアヌスの父系の祖母もテルトゥッラという名前であり、テルトゥッラはウェスパシアヌスの父方の親戚である可能性がある。 テルトゥッラの生涯と彼女の家族についてはあまり知られていない。62年に、ウェスパシアヌスの長男で後に皇帝となるティトゥスと結婚する。この結婚はおそらく、ティトゥスの政治的軍事的キャリアを促進するために、もしくはウェスパシアヌスのプロコンスル資格のための負債を軽減するために、父親達によって取り決められた。 不幸にも結婚間もなくテルトゥッラが死に、この結婚は続かなかった。ティトゥスは63年にマルキア・フルニッラと再婚している。一般に、ティトゥスとテルトゥッラの間には子供はおらず、ティトゥス唯一の子供であるユリア・フラウィアの母親はフルニッラであると考えられている。しかしテルトゥッラの母の名がユリアであったことから、ユリア・フラウィアの母親をテルトゥッラとする説もある。〔 Brian Jones; and Robert Milns (2002). Suetonius: The Flavian Emperors: A Historical Commentary. London: Bristol Classical Press. pp. 96, 167. ISBN 1-85399-613-0.〕 == 系図 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アレキナ・テルトゥラ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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